テンプラと聞いて、反射的に頭に浮んでくることのその二。
故・梅崎春生が、なるほどとおもえる意見を述べていたが、手もとに本がないので記憶で書く。
テンプラが食べたいと出かけて行って、その店が休みの場合、すぐにべつの食物屋へ足を向けることは甚だ困難である。なぜなら、気持だけでなく体のすべてがテンプラに向いていたので、すぐにはそれを切り替えられない……、そういう意見であった。
同感である。
ただし、健康なときでなくては、このように一つの食べ物にたいして思い詰めることはできない。
一昨年は、大アレルギーで食欲皆無だったが、死ぬ気もないので、そそくさと食事を済ます。食べ物を胃に入れると、人間は僅かに汗ばむ。この汗がアレルギーに悪く作用して、しばらく苦しむ。錠剤のようなものを一粒飲めば、一週間くらい食事しなくてもよいことになれば有難いのだが、とおもっていた。
その反動で、昨年はいろいろのものを思い詰めた。しかし、一つのものを繰り返すと、今度はその店の前に立っただけで、その味ばかりでなく食べたあとの気分まで分かってしまうようになる。
「一年間、ロクにものを食べていないのだから……」
少々のゼイタクは許されてもいいであろう、とテンプラ・ウナギ・スシ・日・西・中料理と食べているうちに、ある日突然アンカケうどんを食べたくなった。
しかし、大の男がアンカケうどんというのは、いささかテレくさい。
昔、安岡章太郎と街を歩いていて、アイスクリームが食べたくなった。
彼もつき合ってもいい、というので、「リズ」という喫茶店に入った。
二人とも、その店名の意味が分からないので、
「リズって、どういう意味」
とたずねると、濃く化粧したウエイトレスが、バスガイドのような口調で、
「世界の恋人、エリザベス・テーラーのことでございます」
悪い予感がしていると、デコレーションだらけのアイスクリームが運ばれてきた。一番上にサクランボの砂糖煮がピンク色をして載っている。これをヤスオカと向い合って食べていると、なにかホモ同士のような感じで甚だ居心地が悪かった。
アンカケうどんを食べたいとおもったとき、すぐに浮んだ記憶はこのアイスクリームである。オカメそばとかアンカケとかは、男の食い物としてはどうも具合がわるい。
しかし、思い詰めているのだから、あきらめるわけにはいかない。行きつけのソバ屋へ入り、隅の席に坐ってさりげなく註文する。
「アンカケうどん」
ようやく手に入ったドンブリをかかえていると、うしろの方から、女の声が聞えてきた。
「あら、葛《くず》のサラッとしたアンカケって、イキなものなのよ」
私と同年輩ぐらいの男と若い女とが、近くに坐っていたのだ。
「いい齢をした男がアンカケを食ってやがる」
とでも言った男の声が耳に届いたとおもって、女がその場を取りつくろったにちがいない。
ほんとうは、アンカケなどに関しては余計な気を使わずに自由に振舞えばいいのだが、なさけない性分である。