体調のせいもあって酒場にすっかり足が遠のき、また復活しはじめたころのことである。一年ぶりで「エスポワール」へ一人で出かけてゆき、
「長いこと街へ出なかったんで忘れてしもうた。銀座ではどうやって酒を飲むんでしたかいなあ」
と、大きな地声で冗談を言いながら入ってゆくと、開店したばかりの時刻だったので店の中はがらんとしている。突き当りにある三人くらいしか坐れないカウンターに、やたらに大きな背中がみえた。
その大男が振り向くと、ニヤリと笑った。もとの横綱柏戸いまの鏡山親方である。私は面識がないのだが、シャレが通じたのであろう。
席に坐って見まわすと、他に客は一人もいない。女の子が二、三人横にきて、しだいにその数が増えてくる。こういうときは、モテているわけではないので、ヒマつぶしにくるのだ。おそらく控室の椅子より、客席のもののほうが尻に当る具合も良いにちがいない。
間もなく、鏡山親方は立ち上って、また私のほうをみてニヤリと笑い、帰ってしまった。女の子の数を勘定すると、十三人になっている。
以前、こういうとき、片方の靴を脱いでそれを掴《つか》んで振り上げると、
「もうヤケだ、勝手に好きなものを飲みやがれ」
と、叫んでみたことがある。
そういう実績があるので、女の子たちも心得ていて、
「みんなでビールでもいただきましょう」
と言ってくれ、勘定の面ではいくぶん安心して、冗談を言いながら飲んでいたが、誰か客がきたらそれをキッカケに帰ろうと考えていた。
その誰かがなかなか現れず、一時間近く経って、ようやくドアが開いた。
ところが、入ってきたのが池島信平さんである。いかに文藝春秋の大社長とはいっても、こんな按配のとき、同席して勘定を払ってもらうわけにはいかない。
「池島さん、ここの女の子を半分そっちへ引取ってくださいよ」
と、向うの席に七人移ってもらい、
「お互いにえらいことになりましたなあ」
「しかし、仕方がないから、次の客がくるまで辛抱しましょう」
などと言い合っていたのだが、その次の客がまたなかなか現れない。ようやく、大会社の部課長クラスとみえる三人連れが入ってきた。
池島さんと一緒に店を出て、誘われてもう一軒行き、そこはオゴってもらった。
このときの勘定はどうなったか。
「エスポワール」とは二十年くらいのつき合いなので、無茶なことになるわけはないのだが、次のときに払ってみると、九千円だった。金額自体は小額とはいえないが、銀座のバーで十三人の女の子と一緒に飲んだ勘定としては、タダ同然である。その池島さんも、一年ほど前に亡くなられた。
柏戸関とは(このほうが、現役時代を知っている私には感じが出る)その後、ときたま同じ店で会うが、その度にニコリと挨拶を送ってくる。しかし、まだ話をしたことがない。
「あの人、知らない人に話しかけられるのがキライな性質だろ」
と、女の子にたずねてみると、
「あら、よく分かるわね」
と言うので、遠慮している。