自慢話というのは聞き苦しいものだが、どうしても一つしてみたいのがある。私が二十六歳ぐらいのときの話で、このことをおもい出すと、
「ああ、あれが自分の人生の花であったな」
と、うっとりする。
先日、芦田伸介と近藤啓太郎とN旅館の女将とでマージャンをやり、半チャン三回で切り上げて酒を飲みはじめた。こういうことは、何年に一度で、いつもは終るとすぐ解散になる。
三時間以上も雑談をしているうち、私はその話がしてみたくなり、アシダにたずねてみた。
「銀橋《ぎんきよう》に立ってライトに照らされると、ベテランでもいい気分なんだろうな」
ちょっとテレたような表情になって、
「うーん、まあ、な」
とアシダが返事したので、それをキッカケに話しはじめた。
いまは亡き赤線地帯を、とくに新宿二丁目をわが家の庭のように歩きまわっていたころのことである。二丁目は案外狭い範囲なのだが、中央にやや広い道があり、その左右にも娼家が軒を並べていた。
その道に人垣ができていて、その中から女の怒鳴り声が聞えている。
遠巻きにしている人の輪のあいだから、首を出してみると、黒いワンピースを着た若い女が片手にビール瓶を握って振りまわしながら喚いている。その女の洋服が、やや光り気味の布地だったことまで覚えている。
相手があって怒鳴っているわけではなく、一人で荒れ狂っていて、その凄《すさ》まじい勢いに誰も寄り付かない。酔っているようにもみえた。
そのうちビール瓶を裾から洋服の下に入れ、突き立ててみせて、またなにやら喚く。
その女の様子を見ているうちに、根は人が好く、また私の取扱える範囲のタイプにみえてきた。人目に立つのが私は嫌いなタチだが、そのときはすこし酔っていて、
「ひとつ、いいところをみせてやろう」
とおもい、人垣から抜けて、その女に近づいた。暴れている女の肩をおさえてみると、
「なにさっ」
と、睨《にら》みつける。
片手でじわりと女の腕を掴み、もう一方の手で肩を撫《な》でながら、
「なにか気に入らないことがあって、アバレてるんだろ。もう、そのくらいでいいじゃないか、きみの部屋へ行って一緒に寝ようよ」
と言うと、すうっと女はおとなしくなってしまった。当時、私は貧乏出版社の編集者で、よれよれのレインコートを常用しており、上客とみえるわけがない。
「さ、行こう行こう」
と、うながすと、女は私の腕に腕を組んできて、そのままの恰好で店に入った。斜めに二階に上ってゆく梯子《はしご》段がまるで舞台装置のように、見物人からみえるところにあった。その梯子段を腕を組んで上ってゆくと、どっと拍手がきた。
これは、私は予想していなかった。
遠巻きにしていたのは娼婦と客と半々ぐらいで、一斉に拍手してくれたわけである。私は、赤線のアラン・ドロンになったような気分であった。
もっとも、自分の手に負えると感じたことがとんだ考え違いで、ビール瓶で頭を殴られてキャンキャンと退散することだって、起らなかったとはかぎらない。