私は岡山生れだが、気がついたときには東京にいて以来そこで育った。しかし、祖父や叔父が郷里にいるので、ずっと縁がつづいている。
三、四十年前の瀬戸内海の魚は、たしかに旨かった。そのころの鯛《たい》の刺身や浜焼きは、絶品であった。東京にいて岡山の刺身はムリなので、浜焼きを送ってもらう。一匹の鯛が鱗《うろこ》をつけたままの姿で、二つ折りにした編笠の中に入っている。締まった身を両指で引っぱると、鳥の丸焼きの肉のように裂ける。
ときおり叔父が上京してくると、食べ物にうるさくて仕方がない。とりあえず、たくさんノリを置いためしの上に、アナゴを細く刻んだものを載せ、コハダを小さく切ったものをちりばめただけのチラシ鮨をすすめておくと、
「あんな甘ったるいスシが食えるか」
と、苦情をいい、
「東京の魚なら、どじょうがいい」
その言い分はもっともなのだが、いまちょっと忙しいので、駒形(こまかた)や高橋(たかばし)まで同行できない。
ただし、鰆《さわら》のようないかにも瀬戸内海風の魚でも、秋に食べるときには昔から小田原沖で獲れたもののほうが旨い、と聞いている。
浜焼きにしても、むかしはその名のとおり浜に堆《うずたか》く積んである熱い塩の山に、獲れたばかりのタイを突こんで蒸焼きにしていた。このごろでは、塩水を塗って電気処理で浜焼きをつくってしまうらしい。これでは旨いわけがないし、魚そのものが公害の海で泳いでいるので怪しくなっている。
叔父にあまりうるさく言われると、瀬戸内海という場所にたいしても腹が立ってきて、景色がいささか女性的に過ぎる、などとおもってくる。しかし、鷲羽山だけは鷲が翼をひろげたような形の男性的要素が加わっていて、推奨するに足りる景色だとおもっていた。
子供のころその土地に行くためには、岡山駅からローカル線に乗って三十分ほどのところで乗り替え、小さな電車で五十分も走る。降りた駅から、一時間くらい山を歩いて登ってゆく。半日がかりの仕事で、そのかわり山を越した海岸の料理屋で食べさせてもらえるタイの刺身はじつに旨かった。
もっとも、子供のころはいろいろ感激しやすいところもあって、五、六歳のときに駅弁を車中でひろげ、
「うまいっ、こんなおいしいもの、ボク生れてから食べたことがないっ」
と叫んで、保護者の女性を赤面させたことがあるそうだ。余談だが、駅弁というのはフシギなもので、車中で食べるのが一番旨い。
以来、「瀬戸内海の景勝の地をあげよ」と質問されると、「鷲羽山」と答えることにしていた。因《ちな》みに、この発音は「ワシウザン」で、いま幕内で、面白い角力《すもう》をとってみせてくれている力士は「ワシウヤマ」である。大相撲の世界では、だいたい「ナニナニヤマ」であって、「ナニザン」はいまは「晃山《こうざん》」だけのようである。「海山《かいざん》」はいまはいないが、以前には幕内にいて何代もつづいた由緒あるシコ名である。
昨年、久しぶりに帰郷して、タクシーで鷲羽山へ行ってみた。丁度その麓を走っているとき、「鷲羽山」が三役力士を倒したのをカー・ラジオで聞いた。そこまではよいのだが、いまでは岡山市から一時間くらいで山頂へ着いてしまい、ドライブウェイができたために山容が変ってしまった。近くに、コンビナート都市ができて、煙が上空をおおい、山頂からの見晴しもまるで違ってしまっていた。