[書き下し文]子曰く、晋の文公は譎り(いつわり)て正しからず、斉の桓公は正しくして譎らず。
[口語訳]先生が言われた。『晋の文公は原理原則(筋道)を通さなかったが、斉の桓公は原理原則を通して政治を行った。』
[解説]孔子が晋の文公(重耳)と斉の桓公とを比較して評価した章である。ここでいう『譎り(いつわり)』は、単純な嘘偽りと解釈することもできるが、時宜に応じた振る舞いができず筋道の通った対応ができないという意味でも解釈できる。孔子は明らかに文公よりも桓公のことを高く評価しているが、どちらも中原の覇者となった明君である。大器晩成の文公・重耳(ちょうじ)は政治的な指導力や軍事的才能には優れていたが、『徳治の原則を貫くという点』において桓公のほうが優れていると判断したのかもしれない。