[書き下し文]子路曰く、桓公(かんこう)公子糾(きゅう)を殺す。召忽(しょうこつ)これに死し、管仲は死せず。曰く、未だ仁ならざるか。子曰く、桓公、諸侯を九合(きゅうごう)して、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。その仁に如かんや、その仁に如かんや。
[口語訳]子路が言った。『斉の桓公がライバルの兄・公子糾を殺した時に、側近の召忽は公子糾に殉じて死にましたが、同じ側近の管仲(かんちゅう)は生き残りました。これは、仁の道に外れるのはないでしょうか?』。先生がおっしゃった。『桓公は諸侯を九度集めて会合を開いたが、兵力・軍事を用いて諸侯を強制的に従えたのではなかった。これは管仲の政策のお陰である。この仁徳に及ぶものがあるだろうか、この仁徳に及ぶものがあるだろうか。』
[解説]子路が斉の名宰相である管仲に対して、『主君の死に殉ぜずに、敵の宰相となって働いたのは仁に反するのではないか』と非難した。これに対して孔子は、春秋最大の政治家として知られる管仲を支持しており、『管仲の類稀な功績と才覚によって、軍事を用いずに中国が統一できた』と語っている。『主君への忠義』と『実際の功績』のどちらを高く評価すべきなのかという困難な問いかけに対する孔子なりの回答であったと言えるだろう。厳密に儒学の大義名分論の立場からは、兄を殺害して帝位に就いた斉の桓公(小白)の振る舞いも批判されるべきであるし、元の主君を裏切って敵方の宰相となった管仲にも批判される部分があるが、この部分では、孔子はリアリズムの立場に立って管仲を高く評価している。