[書き下し文]闕党(けっとう)の童子、命を将う(おこなう)。或るひとこれを問いて曰く、益する者か。子曰く、吾その位に居るを見たるなり。その先生と並び行けるを見たるなり。益を求むる者に非ざるなり。速やかに成らんことを欲する者なり。
[口語訳]闕の村の少年が、お客の取次ぎをしていた。ある人が聞いた。『あの少年の学問は伸びるでしょうか。』。先生が答えられた。『私はあの少年が(大人と同じように)真ん中の席についているのを見ました。また、あの少年が先輩と肩を並べて歩いているのも見ました。あの少年は、学問・人格の成長を求める者ではなく、早く一人前の大人に成りたいという者です。』
[解説]村でお客の取次ぎをしていた利発で有能そうな少年。ある村人がその少年の学問と人格の将来性について孔子に質問したのだが、人間観察の力に優れていた孔子はその少年が『学問・人格の成長を求める人間』ではなくて、『早く大人の仲間入りをしたいだけの早熟な人間』であることを喝破していた。この章は、少年の現実的な将来性を占った話というよりも、目上(年上)の人間を尊敬するように説く『長幼の序』について孔子が語った話と解釈することができる。