おばあさんは何年も前におじいさんに死なれて、
毎日仏さまを供養して暮らしていました。
ただ、お婆さんは読み書きができませんでしたので、
お経を上げられないのが残念なことでした。
ある日の夕方、おばあさんの小屋を一人の坊さんが訪ねてきました。
「もし、山越えの途中で日が暮れそうです。
どうか一晩泊めてくださらんか」
「まあまあ、それはさぞお困りでしょう。どうぞお泊りください。
…そうだ。せっかくお坊様がこられたのだから、
一つお願いがあるんじゃけども」
おばあさんは坊さんにわけを話しました。
何年も前におじいさんに死なれたこと、
お経を上げたいが自分には文字が読めないことを話し、
どうかお経を教えてくださいと頼みます。
ところがこの坊さんは、それはもうてきとうな男でした。
もう何年も前に坊主はクビになっており、
酒を飲んではその日暮らしの毎日でした。
お経など一つも覚えてはおりません。
(どうもややこしいことになっちまったなぁ。
ばぁさんもう、後ろで数珠なんか持って、
今か今かってお経が始まるのを待ってるよ。
いまさらできませんとも言えねえからなー、
ここはひとつ何か、お経らしきものを)
坊さんはしばらくまわりを見回していましたが、
そのとき壁の穴からネズミがひょっこり顔を出します。
ねずみか。うん、これでいこう。ええー、
「おんちょろちょろ、ねずみ一匹顔出しそうろう」
なかなかそれっぽいんじゃないか。
「おんちょろちょろ、ねずみが一匹顔出しそうろう」
「いけますよ。ねえ、おばあさん!」
「えっ…何ですか!?」
「何ですかってお経ですよ!
おんちょろちょろ、ねずみが一匹顔出しそうろう
なかなかいいお経じゃないですか」
「それがお経ですか」
「これがお経です。正真正銘のありがたいお経です」
「ありがとうございます。おじいさんもさぞ喜んでいることでしょう」
…という間にもう一匹のネズミが穴から顔を出します。坊さんはすかさず、
「おんちょろちょろねずみが二匹這い出しそうろう」
「お坊さま。最後の「そうろう」の所なんか、とてもいい響きですね。
こう、何か仏さまのありがたさがすっと入ってくるような」
「わかりますか?この最後の「そうろう」に仏の教えが集約されているのです。
だから今意味はわからずとも、言葉の響きを通してスーッとおばあさんの中に入ってきのです」
「ありがたいことです」
調子が出てきたお坊さんは鐘をチーンと鳴らします。
その音に驚いてネズミはビクッとします。それを見て坊さんは、
「おんちゅうちゅう、ねずみが二匹ビックリ顔にそうろう」
お坊さんはいよいよ得意です。やればできるじゃないか。
人間、追い詰められてできないことはないのだ。
心の中で自分を誉めます。
勢いづいてチーンチーンチーン、鐘を叩きまくります。
その音に驚いてネズミはチチッと逃げていきました。
そこで坊さんは、
「おんちゅうちゅう、ねずみがみんなにげさりそうろう…」
「おばあさん、お経がおわりましたよ」
「ありがたいお経をいただき、おじいさんもさぞ喜んでることでしょう。
しっかり覚えて、毎日唱えますから、もう一度お願いできますか」
「ええ、ありがたいお経ですから、しっかり覚えてくださいね」
「おんちょろちょろ、ねずみが一匹顔出しそうろう
おんちょろちょろねずみが二匹這い出しそうろう
おんちゅうちゅう、ねずみが二匹ビックリ顔にそうろう
おんちゅうちゅう、ねずみがみんなにげさりそうろう」
おばあさんは大喜びそれから毎日
「おんちょろちょろ、ねずみが一匹顔出しそうろう
おんちょろちょろねずみが二匹這い出しそうろう
おんちゅうちゅう、ねずみが二匹ビックリ顔にそうろう
おんちゅうちゅう、ねずみがみんなにげさりそうろう」
と唱えていました。
そんなある日、おばあさんの家に二人の泥棒が入ります。
ちょうどおばあさんが仏壇に向かってお経を上げているところでした。
「あのばあさん、背中むけて何をやってるんだ?」
「何でもいいや。年寄りは金持ってやがるからな。さっさと仕事すませようぜ」
一人の泥棒が障子からスッと顔を出しますと、
「おんちょろちょろ、ねずみが一匹顔出しそうろう」
「なんだ?あら俺のこと言ってんのか?」泥棒はびっくりしました。
「なにをつべこべ言ってるんだ。おい、どいてみろ」
もう一人の泥棒が顔を出しますと、
「おんちょろちょろねずみが二匹這い出しそうろう」
二人目の泥棒はびっくりしました。
「なんなんだよあのばあさんは。ねずみってのは俺たちのことか?」
二人の泥棒があっけに取られていると、
「おんちゅうちゅう、ねずみが二匹ビックリ顔にそうろう」
泥棒たちは自分たちのことを言われていると思い怖くなりました。
「背中に目でもついてんのか?」
「ああいうばあさんと関わるとロクなことにならん」
「さっさとずらかろう」
「おんちゅうちゅう、ねずみがみんなにげさりそうろう」
おぱあさん、チーンと鐘を鳴らし仏壇に手を合わせました。