主人の万右衛門(まんえもん)は大喜びでしたが、ひとつだけ気にいらない事がありました。
それは赤ん坊の万吉(まんきち)の鼻が、とても低かったからです。
その低さは、顔の上に碁石を一つ置いたほどです。
主人は万吉の鼻を乳母につまませたり、鼻を洗濯ばさみではさませたりしましたが、いっこうに効き目がありませんでした。
ある日、主人とおかみさんはこんな相談をしました。
「大工に頼んで、鼻の中に柱をたててもらうか。その柱を少しずつ大きくすれば、鼻も大きくなるに違いない」
「鼻に柱なんて、みっともないよ。それよりお前さん、鼻の高い天狗に願掛けをしたらどうかねえ」
「天狗か、そいつはいい。さっそく百度参りをしよう」
そこで夫婦がお参りを始めると、さっそく空から天狗の声がしました。
『鼻を高くするには、高慢(こうまん)になればいい』
「高慢とは、どうすりゃ高慢になるんで?」
『簡単な事よ。『お前はかわいい。お前はかしこい。お前はえらい』と、毎日おだててやるのだ。さすればすぐ天狗に、・・・いや、鼻が高くなるわ』
「なるほど。ありがとうございました」
そこで主人は家に帰ると、店の者はもちろんの事、お客にまで万吉をほめてくれる様にと頼んだのです。
「万吉は、かわいいねえ」
「万吉は、かしこいねえ」
「万吉は、えらいねえ」
すると不思議な事に、万吉の鼻が少しふくらんだのです。
「おおっ、天狗の言葉通りだ」
やがて万吉が五歳になると、相撲取りに頼んで相撲の相手をしてもらいました。
相撲取りは負けるとお金がもらえるので、喜んでわざと負けてやりました。
すると万吉は鼻を突き上げて、ニッコリ笑います。
「えへへ。おいらは力持ちだ。なにしろ天下のお相撲さんをぶんなげたのだから」
万吉は八歳になると、有名な絵の先生に絵を習いました。
主人からたくさんのお金をもらった先生は、万吉の下手な絵をほめちぎります。
「いやー、お坊ちゃまは筋がよろしい。
この筆の線は、特に見事だ。
まこと、力がみなぎっておる。
このネコなど、まるで生きているようだ」
「ネコじゃない。トラだよ」
「そうそう、いかにもトラです。加藤清正がお坊ちゃまのトラをみたら、ブルブルと震え上がるでしょう」
万吉が十四歳になると、漢文の先生がやってきました。
この先生も主人にたくさんのお金をもらっているので、とにかく万吉をほめちぎります。
こうして誰もかれも万吉をほめるので、ついに万吉の鼻は天狗のように高くなったのです。
そんなある日、天狗が万吉のうわさを耳にしました。
「鼻が高くて、高慢な万吉?
はて、聞いた名だな。
・・・おお、そうだ。
以前に、子どもの鼻を高くしてほしいと頼まれた事があったが、あれがたしか万吉だった。
さてはおだてにのって、高慢になりすぎたか。
よし、ひとつこらしめてやるか」
そこで天狗は万吉を連れ出して、万吉に言いました。
「万吉、お前は相撲が得意だそうだな」
「ああ、相撲取りを投げ飛ばした事もあるぞ」
「ならば、この小天狗と相撲をとってみよ」
「いいとも、小天狗など簡単に倒してやるぞ」
万吉は小天狗と組み合いましたが、万吉はいとも簡単に投げ飛ばされてしまいました。
その時、万吉は地面に鼻をこすりつけて、鼻が少し縮んでしまいました。
「万吉、お前は絵がうまいそうだな」
「ああ、おらは天才だ。筆と紙をよこせ」
万吉がさらさらさらと描いた絵を見て、小天狗は吹き出しました。
「わっはっはっは、なんだこれは!? ネコか?」
「馬鹿を言うな。これはトラだ」
「うひゃゃゃゃゃゃ。これがトラ? 五つの子どもでも、もっとましな絵を描くぞ。うひゃゃゃゃゃゃ」
小天狗に大笑いされた万吉の鼻が、また小さくなりました。
「ようし、ならば学問だ。何でも良いから質問してみろ!」
万吉は自信ありげに言いましたが、小天狗の出す簡単な質問にも答えられません。
「こっ、こんなはずでは・・・」
すっかり自信を失った万吉の鼻はみるみる低くなり、とうとう元の鼻ぺちゃになったという事です。