原文
丸岡天竜寺(まるおかてんりゅうじ)の長老、古き因(ちなみ)あれば尋ぬ。又、金沢の北枝(ほくし)といふもの、かりそめに見送りて此処(このところ)までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節(おりふし)あはれなる作意など聞ゆ。今既(すでに)別(わかれ)に望みて、
物書て扇引さく余波哉
五十丁山に入て、永平寺を礼す。道元禅師の御寺也。邦機(ほうき)千里を避て、かゝる山陰に跡をのこし給ふも、貴きゆへ有とかや。
現代語訳
丸岡の天竜寺の長老は古い知人だから訪ねた。また、金沢の北枝というものがちょっとだけ見送るといいつつ、とうとうここまで慕いついてきてくれた。
その場その場の美しい景色を見逃さず句を作り、時々は句の意図を解説してくれた。その北枝ともここでお別れだ。
物書て扇引さく余波哉
(意味)金沢の北枝としばらく同行してきたが、いよいよお別れだ。道すがら句を書きとめてきた扇を引き裂くように、また夏から秋になって扇をしまうように、それは心痛む別れなのだ。
五十丁山に入って、永平寺にお参りする。道元禅師が開基した寺だ。京都から千里も隔ててこんな山奥に修行の場をつくったのも、禅師の尊いお考えがあってのことだそうだ。