昔、男ありけり。童(わらは)よりつかうまつりける君御髪おろし給うてけり。む月にはかならずまうでけり。おほやけの宮仕へしければ、常にはえまうでず。されど、もとの心うしなはでまうでけるになむありける。昔つかうまつりし人、俗なる禅師(ぜんじ)なるあまた参りあつまりて、む月なればことだつとて大御酒(おほみき)たまひけり。雪こぼすがごと降りてひねもすにやまず。みな人ゑひて「雪に降りこめられたり」といふを題にて歌ありけり。
思へども身をしわけねばめかれせぬ雪のつもるぞわが心なる
とよめりければ、親王いといたうあはれがり給うて、御衣(おほんぞ)ぬぎてたまへりけり。
【現代語訳】
昔、ある男がいた。子どものころからお仕えしていた御主君が剃髪なさった。お正月には必ず御主君のもとに参上した。男は宮仕えしていたので、常には参上できない。しかし、それまでの忠誠心を失わず、お正月には必ず参上したのだった。昔お仕えした者で、僧でない在俗の人、出家して法師である人など大勢がやって来て集まり、お正月で年の初めにあらたまって祝儀をするというので御酒をくださった。雪がまるで空の器をかたむけてこぼしたように激しく降り、一日中やまない。みな酔って、「雪にひどく降られて外に出られなくなった」ことを題に歌を詠んだ。
<御主君をいつも大切にお慕いしていても、身体を二つに分けられないので平素はご無沙汰ばかりで、この雪のように思いは積もり積もっていたが、目も離せぬほど降りしきる雪で帰れなくなり、御主君のもとにとどまる格好の口実ができましたよ。>
よ詠んだので、親王はとても感動なされ、御召し物を脱いでごほうびに下さった。