いづれの御時(おほんとき)にか、女御(にようご)・更衣あまた候(さぶら)ひたまひける中に、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
初めよりわれはと思ひ上がりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。同じほど、それより下臈(げらふ)の更衣たちは、まして安からず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよ飽かずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえはばからせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
上達部(かんだちめ)・上人(うへびと)なども、あいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土(もろこし)にも、かかることの起こりにこそ、世も乱れ悪(あ)しかりけれと、やうやう天(あめ)の下にもあぢきなう、人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃(やうきひ)の例(ためし)も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心(みこころ)ばへのたぐひなきを頼みにて交じらひたまふ。
父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人の由(よし)あるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえ華やかなる御方々にもいたう劣らず、何事の儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見(うしろみ)しなければ、事ある時は、なほよりどころなく心細げなり。
(現代語訳)
いずれの帝の御世であったろうか、女御や更衣が大勢お仕えされていた中に、それほど高貴な身分ではないものの、格別に帝のご寵愛を受けていらっしゃる方がいた。
入内した初めから、私こそはと自負なさっていた女御の方々は、気に食わない者として軽蔑したりねたんだりなさった。同じ身分またはそれより下位の更衣たちは、いっそう心安くない。朝晩のお勤めにつけても、周りの人々の気ばかりもませ、恨みを買うことが積もりに積もったからだろうか、ひどく病気がちになり、何とも心細いようすで実家に下がりがちになってしまった。そのため、帝はますます物足りなくいとおしくお思いになり、人がそしるのも気兼ねなさることもできず、後の世の例にもなってしまいそうなお取り扱いだ。
公卿や殿上人なども、感心できないと目をそらし、まさに見ていられないほどのご寵愛ぶりだった。中国でも、こういうことが発端で世の中が乱れ、まことに不都合だったのにと、しだいに世間でも苦々しく思われ、人々の心配に種となった。楊貴妃の例も引き合いに出されそうになり、たいへん辛い立場になってしまったが、畏れ多い帝の愛情が他に並びないのをひたすら頼みとして、他の人々と交際していらっしゃった。
父親の大納言は亡くなって、母親の北の方が古い家柄の教養ある人なので、両親ともそろっていて現在の世間の評判が華やかな方々にも大してひけをとらず、どのような事柄の儀式にも対処なさっていたが、これといった確かな後見人がいないので、いざ大事な儀式が行われるときには、やはり頼りとする人がなく心細い様子だった。
(注)女御・更衣 ・・・ いずれも天皇の夫人。女御は皇后・中宮に次ぎ、更衣は女御に次ぐ地位。
(注)上達部 ・・・ 公卿。三位以上の人。
(注)上人 ・・・ 殿上人。四位・五位の人。