(三)
紙燭(しそく)持て参れり。右近も動くべきさまにもあらねば、近き御几帳(みきちやう)を引き寄せて、「なほ持て参れ」とのたまふ。例ならぬことにて、御前(おまへ)近くも、え参らぬつつましさに、長押(なげし)にもえ上らず。「なほ持て来(こ)や。所に従ひてこそ」とて、召し寄せて見たまへば、ただこの枕上に、夢に見えつるかたちしたる女、面影に見えてふと消え失せぬ。昔物語などにこそかかることは聞け、といとめづらかにむくつけけれど、まづ、この人いかになりぬるぞと思ほす心騒ぎに、身の上も知られたまはず添ひ臥して、「やや」とおどろかしたまへど、ただ冷えに冷え入りて、息はとく絶え果てにけり。
言はむ方なし。頼もしく、いかにと言ひふれたまふべき人もなし。法師などをこそは、かかる方の頼もしきものには思すべけれど。さこそ強がりたまへど、若き御心にて、言ふかひなくなりぬるを見たまふに、やる方なくて、つと抱(いだ)きて、「あが君、生き出でたまへ、いと、いみじき目な見せたまひそ」とのたまへど、冷え入りにたれば、けはひものうとくなりゆく。
(現代語訳)
そこに、留守居役の息子が紙燭を持って参った。右近も動けそうもないので、源氏は傍らの御几帳を引き寄せて夕顔を隠し、「もっと近くに持って参れ」とおっしゃる。ふだんと違ったことなので、おそれおおくて御前近くに参上できず、ためらっていて長押にも上がりかねている。「もっと近くに持って来なさい。遠慮も場所によるぞ」と言って、紙燭を取り寄せてご覧になると、ちょうどその枕元に、夢に現れた姿の女が幻影のように現れて、ふっと消え失せた。「昔の物語でこそ、このような話は聞くけれど」と、たいそう意外で気味悪いが、まず、「この女はどのようになったのか」と心配で、わが身の危険もお顧みにならず、女君に添い臥して、「これこれ」とお起こしになるが、すっかり冷たくなっていて、息はとっくにこと切れてしまっていた。
源氏はどうすることもできない。頼りになり、どうしたらよいかとご相談できるような人もいない。法師などは、このような時の頼みになる人とはお思いになるが。あれほど強がっておられたが、まだお若いため、空しく死んでしまったのをご覧になると、どうしようもなくて、女をひしと抱いて、「いとしい人よ、生き返っておくれ。ひどく悲しい目に遭わせないでおくれ」とおっしゃるが、冷たくなっていたので、人を抱いている感じがしなくなっていく。
(注)長押 ・・・ 部屋の境目にある、横に渡した木材。