「ああ、いや、もう寝よう」
直記はそれをきっかけに、何か話をしたいらしかったが面倒臭いので、私はごろりと、
ドアのほうへ寝返りをうった。直記もそれきり口を利かなかった。
私はほんとうに寝ようと思ったので、出来るだけ妄想をおっぱらうようにつとめた。そ
して、どうやらそれに成功して、うとうとしはじめたときである。
ふいにベッドをきしらせて、直記のとび起きる気配をかんじた。と、同時に私もソファ
のうえに、起きなおっていた。
「屋代、起きているのか」
「うん、誰だか二階へあがって来るぜ」
じっと耳をすましていると、たしかに軽いスリッパの音が、ひたひたと階段をあがって
来るのである。いま、この二階に寝泊まりしているものは、われわれ二人のほかに、蜂屋
よりいない筈はずだが、その足音はたしかに蜂屋ではない。軽い、女のような足音。しか
もあたりを憚はばかるような歩きぶりである。その足音は階段をのぼると、蜂屋の部屋の
あたりでぴったりとまった。ひょっとすると、八千代さんではあるまいか……そう考える
と、私は急に、何んともいえぬ不快なかたまりが胸もとへこみあげて来た。
「おい、ちょっといってみよう」
直記がしゃがれ声で囁ささやいた。むろん、私にもいなやはない。そこでそっとソファ
をずらせると、ドアをひらいて廊下へ出たが、曲がり角まで来ると、蜂屋の部屋のまえ
に、女がひとり立っているのが見えた。
「誰だ」
直記が声をかけると、
「あら、旦だん那なさま」
と、びっくりしたように答えて、うしろ手にドアをしめたのは、お藤といって、洋館の
ほうの係りの、ちょっと渋皮のむけた女中であった。
「なあんだ、お藤か」
直記も拍子抜けしたような声で、
「おまえいまごろ、こんなところで何をしているんだ」
「はあ、あの、いま、こちらのお客さまから電話がかかって、水を持って来てくれとおっ
しゃるものですから……」
この家では各室から、女中部屋へ電話がかかるようになっているのである。
「ああ、それで水を持って来てやったのか。蜂屋はどうしてる」
「はあ、あの、うとうとしていらっしゃるようなので、枕まくらもとのテーブルの上へお
盆ごとおいてまいりました」
「そうか。それじゃおまえも早くさがって寝ろ。若い娘がみだりにこんなところをうろう
ろしているもんじゃない」
「はあ、では……」
お藤はいそぎあしに階段をおりていったが、そのあとを見送っておいて部屋へかえって
来た私たちは、それですっかり眼がさめてしまった。電気をつけて腕時計を見ると十二時
十分過ぎである。
私たちは電気を消してもう一度眠ろうとしたが、今度はどうしても瞼まぶたがあわな
い。直記も同じと見えて、ベッドのうえで輾てん転てん反はん側そくしている。それでも
一時間あまり、私は必死となって、眠ろうとつとめたが、あせればあせるほど頭が冴さえ
て来るのと、急に煙草がのみたくなったのとでとうとう諦あきらめてソファのうえに起き
直った。