ある晩の事です。
ムスタフの奥さんがよその家に呼ばれて、出かける事になりました。
ムスタフは心細そうな声で、奥さんに言いました。
「一人で留守番するなんて、怖くて嫌だよ。早く帰って来ておくれよ」
ところが、これを奥さんの友だちが聞いて、
「オホホホホ。まあ、何という弱虫なんでしょう」
と、ムスタフを笑いました。
奥さんは、くやしくてなりません。
そこで、
「このまま一緒に暮らしていては、あなたのおくびょうは治りません。しばらくよそへ行って、強い人になって来てください」
と、ムスタフにナイフを一本渡しました。
ムスタフはそれを持って、家を出て行きました。
ムスタフが歩いて行くと、道の途中でこぼれているハチミツにハエがたくさんむらがっていました。
「おい、じゃまだ。そこをどけ!」
いくら弱虫のムスタフでも、ハエは怖くありません。
ムスタフはナイフを抜いて、サッと横に払いました。
すると六十匹のハエが死んで、パラパラと道に落ちました。
もう一度横に払うと、今度は七十匹が死にました。
「ほう、おれでもこんなにたくさんのえものをやっつける事が出来るんだな」
ムスタフはうれしくなって、すぐに石を拾い、ナイフのえのところに記念の言葉を彫りつけました。
《ごうけつムスタフは、一打ちで六十を殺し、もう一打ちで七十を倒した》
ムスタフはまた歩いて行きましたが、そのうちに日が暮れてきました。
でも、あたりには泊まる家もありません。
仕方なくムスタフは、
(今夜は、ここで寝よう)
と、地面にナイフを突き立てて、そのそばでゴロリと横になりました。
そのままムスタフが眠っていると、夜が明けた頃に一人の大男がやって来ました。
大男はムスタフをのぞき込んでいましたが、すぐに地面に突き立てたナイフに気づいて、えに彫ってある言葉を読みました。
「なになに。???ほう、これはすごいごうけつ(→強くてすごい人)だ!」
男は、急に怖くなりました。
それでムスタフが目を覚ますと、ご機嫌をとろうとして、
「やあ、お目覚めですか。あの、どうか、わたしたちの仲間になってください」
と、言いました。
ムスタフは、わざといばった様子で大男にたずねます。
「お前は、何者だ!」
「はい。このあたりに住む、四十人の大男の仲間の一人です。あなたを仲間たちに引き合わせたいと思いますが、いかがでしょう?」
「よし、それではみんなのところへ連れて行け!」
本当は、ムスタフは怖くてたまらないのですが、でも怖そうにしていたら、どんな目にあわされるかわかりません。
そこでいかにもごうけつの様なふりをして、そう言ったのです。
ムスタフの許しが出ると、大男はすぐさまムスタフを仲間たちのところに案内しました。
「おいみんな、大変なごうけつがやって来たぞ!」
大男は仲間たちに、ムスタフのナイフの言葉を話して聞かせました。
「ほほう、一打ちで七十だと? そいつは大したもんだ」
大男たちは、しきりに感心しています。
だけどムスタフにしてみれば、四十人もの大男に囲まれて、すぐにでも逃げ出したい気持ちです。
しかし、こうなっては仕方がありません。
無理矢理に大声を張り上げて、怒鳴りました。
「どうだ、お前たちの中に、おれほどのごうけつはいるか!」
「いえいえ、一人もいません」
すっかりムスタフをごうけつだと思い込んでいる大男たちは、ペコペコと頭を下げて答えます。
ムスタフはそのまま、大男たちの村で暮らす事になってしまいました。
さて、村で暮らす様になると、ムスタフも大男たちの決まりに従わなくてはなりません。
大男たちは毎日、大きなおけを持って遠くの井戸から水をくんで来るのですが、ある朝、その水くみの番がムスタフにまわってきました。
「さて、どうしたものか」
と、ムスタフは考え込みました。
大男たちがかつぐ大きなおけを、ムスタフにかつげるはずはないのです。
色々と考えたあげく、ムスタフはある事を思いつきました。
「おい、丈夫なロープを持って来い!」
ムスタフは大男にロープを持って来させると、それをかついで井戸へ出かけて行きました。
大男たちも、ムスタフが何をするつもりだろうと、あとからぞろぞろとついて行きます。
井戸に着くと、ムスタフは持って来たロープをグルグルと井戸に巻きつけました。
「ムスタフさん、どうなさるつもりですか?」
大男の一人が、ムスタフにそう尋ねました。
するとムスタフは、涼しい顔で答えました。
「何、こんな遠くまで水くみに来なくてもいい様に、この井戸を背負って帰ろうと思うのさ」
大男たちは、ビックリ。
「ムスタフさん、それだけはやめてください。そんな事をしたら井戸の神さまが腹を立てて、どんな仕返しをなさるかわかったものじゃありません。その代わりにこれからは、あなたに水くみはさせませんから」
これでムスタフは、まんまと水くみの役目を逃れる事が出来ました。
それから四、五日たって、今度は森からたきぎを取って来る役目がムスタフにまわってきました。
ムスタフは森のはずれにくいを打ち込んでロープを結びつけると、そのロープで森のまわりをぐるりと巻きました。
「ムスタフさん、何をなさるのですか?」
大男たちが尋ねると、ムスタフは涼しい顔で答えます。
「木を一本ずつ運ぶよりも、森をそっくり持って行く方が簡単でいいと思ってね。さて、よっこらしょ!」
ちょうどそのとき風が吹いてきて、森の木が激しくゆれました。
大男たちは、あわてて叫びました。
「やめてください! そんなに木をゆすったら、森がメチャメチャになってしまいます。たきぎはおれたちで取りに行きますから」
こうしてムスタフは、たきぎ取りの役目も逃れる事が出来ました。
そんな事があったため、大男たちはムスタフをいっそう恐れる様になりました。
「あんな怖い人が村にいては、安心して眠る事も出来やしない」
「何とかして、ムスタフをやっつける事は出来ないかな?」
すると、一人が言いました。
「ムスタフが眠っている時に、窓から熱い湯をかけるというのはどうだろう?」
大男たちはヒソヒソ声で相談しましたが、体が大きい分だけ声も大きく、大男たちの話しはすっかりムスタフに聞こえていました。
それでムスタフは、その夜ベッドに入る時、ふとんの下にまくらや棒きれなどを押し込んで、ちょうど人間が寝ている様な形にしておいて、自分は部屋のすみに隠れてやすみました。
さて、夜中に窓から熱いお湯をかけた大男たちは、あくる朝、ムスタフの部屋へやって来ました。
ムスタフが死んだかどうか、確かめるつもりなのです。
だけど、部屋に入った大男たちはビックリ。
熱いお湯をかけたはずのムスタフが、平気な顔でみんなを出迎えたではありませんか。
ムスタフはのんきな声で、
「やあ、ゆうべは暑かったねえ。少し、汗をかいてしまったよ」
そう言いながら、ゴシゴシと体を拭いています。
(あんなに熱いお湯をかけられたのに、やけどもしていないなんて、なんてすごい奴だろう)
大男たちは、コソコソと逃げ帰って行きました。
それからまた、五、六日が過ぎました。
大男たちは仲間たちの中で一番強い大男を連れて、ムスタフのところへやって来ました。
「ムスタフさん。この男とすもうをとってみせてくださいませんか?」
ムスタフは、あっさり答えました。
「すもうだって。いいとも、相手になってやろう」
でも心の中では、ブルブルと震えていました。
どう頑張っても、こんな大男に勝てるわけはないのですから。
でも、断るわけにはいきません。
ムスタフが承知したので、さっそく村の広場ですもうの試合が行われる事になりました。
相手の大男は試合が始まるとすぐ、大きな手でムスタフののどをギューッとつかみました。
すごい力に、ムスタフの目が少し飛び出しました。
でもどうした事か、相手の大男はそれ以上動きません。
実はムスタフの飛び出した目が、まるで大男をにらみつけている様に見えて、怖くて動けないでいたのです。
「何でそんなに、怖い目をするんだ?」
大男が、震える声で言いました。
ムスタフは大男が怖がっている事がわかると、いばった声で言いました。
「怖い目? ふふふ。それはな、このあとお前を空高く放り上げたら、お前は落ちて来た時に手も足もバラバラなるだろう。気の毒だなと思って、お前の最後の姿を見ているだけだよ」
ムスタフの言葉を聞いて、まわりの大男たちはビックリ。
みんなはあわてて、ムスタフにかけよると、
「ムスタフさん、お願いします。どうか仲間の命を助けてやってください。お願いします」
そう言って、頭を下げました。
「よし、わかった。許してやろう」
大男たちはおわびのしるしにたくさんのお金を持って来て、ムスタフに差し出しました。
「このお金を差し上げます。どうかもう、この村から出て行ってください」
ムスタフはそのお金を受け取ると、大いばりで奥さんが待っている家へと帰って行きました。