很多事情往往就是这样,听到与看到有着非常大的区别。有个很好的例子,在电视机中听国会审议直播与亲身到讨论场所感受是完全不同的。电视方面,无论出现何种放肆,质疑问答的内容总是能明白的。而在讨论地,即使消去所有杂音,有时候还是完全听不清在说些什么。
本会議を傍聴に行って、あまりの騒がしさに耳を疑った。そんな投書が数年前の本紙声欄にあった。「ヤジは国会の華」というが、もってのほかだ、と。この方は、ぜひ皆さんにも傍聴を勧めたい、と書いていた。同感だ。
曾去过全体议员会议旁听,由于太过吵闹听得不知所云。几年前的本报声栏曾收到过这样的来稿。有人说“嘲弄是国会的亮点”,也有人说这太过荒唐。而来稿的这位则在信中劝大家都去旁听。我深有同感。
いかなるヤジも許されないとは思わないが、一国の総理が不規則発言を重ねるのには驚く。5月に「早く質問しろよ」と言い放って陳謝した安倍首相が一昨日、また失態を演じた。
对一国总理重复出尔反尔的的发言感到震惊,虽然我并不反对所有形式的起哄。曾5月份放言“早点问”而道歉的安倍首相于前天再次上演失态。
テレビの映像を見ると、首相は「まあいいじゃない、それくらい」と言っている。安保関連法案の参院審議で、中谷防衛相の間違いを民主党の蓮舫議員が指摘したのに対する言葉である。委員長の注意を受け、首相は撤回した。
看了电视画面,首相说“这不就好了,就这样。”在安保关联法案的参议院审议中,对民主党议员莲舫指出防卫相中谷的错误,首相如此说到。后受到委员长的批评,首相撤回了发言。
前回の時にも批判されたように、政府は国会に法案を提出し、審議を「お願い」する立場だ。にもかかわらず国民の代表たる国会議員を見下すかのような態度を取る。それは国民を見下すことに他なるまい。
情形就像上次被批判的那样,政府向国会提出法案,其立场应是“拜托”国会对其进行审议。然而现在却全然不顾这些,政府对身为国民代表的国会议员摆出一副居高临下的态度。而这无疑是在蔑视国民。
首相は2月にも日教組をめぐるヤジを飛ばし、謝罪に追い込まれた。二度あることは三度ある、を地で行っている。「憲法違反」の安保関連法案に対する反対はますます強まるのではないか。その声は心ないヤジなどでは決してかき消されまい。
首相在2月份围绕日教组的问题上,首相也大放厥词,最后被迫道歉。俗话说,有二就有三。对于“违反宪法”的安保关联法案,反对声不是正益发强烈吗?面对毫无意义的嘲弄,这一声音绝不会轻易消失。