国宝级的陶瓷器都拥有高深的名号。【不二山】【喜左卫门井户】。像笔者这样的胆小鬼首先只会担心:“要是打破了怎么办?”。东京国立博物馆的名誉馆员林屋晴三则不同。一上来就托在手心对着阳光观察、有时候还用嘴唇触碰。对茶杯一类的陶瓷器研究透彻。以88岁高龄逝世。
京都・宇治の茶園の生まれ。11歳ごろ初めて茶席に出て、喜々として稽古に励む。上空を米機B29が飛び、警報が鳴り響いても茶碗(ちゃわん)を離さなかったという
出生于京都・宇治的茶园。11岁左右首次参加茶会,开心又努力地练习技艺。据说美国战机B29从上空飞过,警报拉响也不扔掉茶杯。
30代でもう目利きとして名が立つ。博物館の倉庫や各地の美術商に足しげく通ったことで審美の目が養われた。戦後すぐ財閥解体や財産税の導入で資産家の蔵から一級の茶碗が流れ出た時期だった。
30几岁就凭借出色的鉴赏力而扬名。因频繁出入博物馆的仓库和接触各地的艺术品商人而练就了审美观。战后不久因财阀分裂和财产税的征收,恰逢顶级茶杯从资产家的收藏中大量流出的时期。
親交のあった茶道の武者小路千家、千宗屋(せんそうおく)さん(41)は「私にとっては大切な茶友(ちゃゆう)であり、生涯の師匠でした」と惜しむ。毎月のように京都へ招き、自分の茶がどのように映るか何度も教えを請うた。
他的好友-茶道的武者小路千家、千宗屋(41岁)惋惜得说:“他是我非常重要的茶友,是我一生的老师”。每个月都邀请他到京都,多次请教自己的茶艺如何。
直言居士として知られた。人間国宝である陶芸家に向かって、「この間の作品はダメだな」とためらわず言う。琳派(りんぱ)の祖とされる名匠本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の作品であっても、心を許した友には「自分には名作とは思えない」と率直な疑問をぶつけた。
因直言不讳而闻名。面对被当做人间国宝的陶艺家,说起话来也毫不犹豫:“这段时间的作品不行”。即便是被当做琳派鼻祖的名匠本阿弥光悦的作品,对于信赖的朋友也坦率得进行质疑:“我不觉得是名作”。
国宝級の茶碗が本物か偽物か、テレビの鑑定番組で騒動が起こったばかりだ。真贋(しんがん)の見極めが付けられないのは、陶磁器の世界に限らない。世評や看板、値札に惑わされず、自分の目や指、唇で真価を見抜ける人物が減っているのだろうか。
国宝级的茶杯究竟是真品还是赝品?电视的鉴宝节目曾多次引发骚动。无法辨别真伪的不仅仅只是陶瓷器。不要被舆论、招牌和价格所迷惑,用自己的眼睛、手指和嘴唇看穿真实价格的人还会减少吗?