前不久,我参观了在富山市“高志之国文学馆”举行的“官员——大伴家持”展。本次展览的目的是从朝廷的经历来追溯这位于明年即将迎来诞辰1300周年的,奈良时代的,诗人的一生。
〈春の園紅(くれない)にほふ桃の花下照(したで)る道に出(い)で立つをとめ〉。万葉集を編纂(へんさん)したとされる家持の代表作である。とかく恋愛に忙しかったとか、左遷続きだったとかいう印象がある。
“春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ”(春日桃花开满园,游人痴立花蹊侧)。该诗是这位编撰万叶集的家持先生的代表作。或是忙于恋爱,或不断被贬官,人们对他的印象大多止步于此。
だが中西進館長(87)は「実態とかけ離れた虚像です」という。「文学にかまけたわけでは決してない。現実政治に生涯をかけて真正面から取り組んだ名門貴族でした」。
但是馆长中西进先生(87岁)却说:“这根本就是不符合实际的虚假印象”;“他绝没有沉溺于文学。他是一位出生名门的贵族,他的一生都与现实政治紧密相关。”
地方官として派遣された北陸や山陰では管内巡視に励んだ。司令官として赴いた東北でも蝦夷(えみし)制圧という難しい任務に力を尽くしている。「一言でいえば円(まど)かな人。ヒューマニズムを重んじ、良心的でした。その分、台頭する藤原一族から圧迫されました」。
他曾被派至北陆和山阴地区担任地方官,在那里他勤于政务。他还被委托为指挥官奔赴东北地区负责镇压虾夷这项艰巨的任务,为此他呕心沥血,竭尽全力。“一言蔽之,他为人稳重。他重视人文主义,关心他人。但另一方面,他也遭到崛起的藤原一族的迫害。”
桓武天皇に対する謀反事件で関与を疑われ、京外へ追放される。復帰をはたしたが、家持の死後すぐに起きた重臣暗殺事件では首謀者にされる。田地を没収され、息子は隠岐へ流されてしまう。
因为被怀疑涉嫌针对桓武天皇的谋反事件,他被流放出京。虽然最后官复原职,但在家持死后马上爆发的重臣暗杀事件中,他被认为是首犯。封地遭到没收,儿子也被流放至音隐岐。
〈うらうらに照れる春日(はるひ)にひばり上がり心悲(がな)しもひとりし思へば〉。ヒバリの舞う、うららかな春でさえ人は愁いを感じる。名高い秀作も、朝廷内で後ろ盾を失った苦難に思いをはせると、孤立を嘆いた政治の歌のように響く。勢いに乗る藤原氏、衰えゆく大伴氏。いつの政治、どの組織とも変わらぬ盛衰のドラマがありありと浮かぶ。
“うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば”(春日暖阳熙熙,云雀高飞,内心却满是悲苦)。在熙熙春日,云雀飞舞,而人却满心愁苦。即便这著名的佳作,也透露出作者失去朝廷支撑后所遭遇的苦难,宛如一曲感叹孤独的政治诗歌。得势的藤原氏,逐渐没落的大伴氏。无论何种政治,哪种组织都逃不过盛衰变迁,这样的剧本到处都在上演。