Burma,在日本读作“必鲁玛”,而英语读作“巴玛”。自1989年开始,该词的书写方式发生了变化,改成了Myanmar。这是因为原来的国名指的是国内的多数派“巴玛族”,经过修改之后才具有了包括少数民族在内的全体国民的意思。据说这是当时军政府的解释。
無理な説明だったと、研究者の根本敬(けい)氏が書いている。歴史を振り返ると、それらの語に意味の違いが見いだせないからだ。軍事政権に反対し、ビルマを使い続けた人もいる(『物語 ビルマの歴史』)。130を超える民族を抱える多民族国家が、それから融和の道に進んだとも思えない
象徴が、少数派のイスラム教徒ロヒンギャの扱いだろう。不法移民と決めつけられ、参政権も移動の自由も認められない。国軍による掃討に脅かされ、安全な地を求めて川や山を越える様子が報じられる。隣国に逃れた人は12万にのぼった
一个具有象征意义的情况就是对待少数派伊斯兰教徒罗兴亚人(Rohingya people)的政策。他们被定为非法移民,并且不承认他们的参政权利和搬迁移动的自由。我们时常能够看到有关他们的报道,在国军扫荡的威胁之下,为谋求安全不得不涉水过河翻山越岭。现已逃往邻国的就有12万之众。
やるせないのは、これがアウンサンスーチー氏率いる政権の下で起きていることだ。ノーベル平和賞に輝いた民主化の星である。軍の力が依然強いことを考えても釈然としない
更让人郁闷不解的是所有这些竟然发生在昂山素季女士领导的政权之下。因为这是一位荣获诺贝尔和平奖的民主化明星。即便只是想到军队的力量仍然很强大,就很难释怀。
政権奪取の前の2013年、来日した際に彼女が語ったという。「私は魔術師ではありません。もしそうなら“民族間や宗教間の対立よ、消えてなくなれ”と叫んで、あっという間にそれらを消してみせるでしょう」
早在夺取政权之前的2013年,来到日本的昂山素季女士曾经说过,“可惜我不是魔术师。如果是的话,只要喊一声,‘民族之间、宗教之间的对立,你们全都给我消失!’转瞬之间就能解决所有这些问题”
魔法の力は誰にもない。だから暴力でなく話し合いがある。少数者の命と権利がないがしろにされる事態がこのまま続くのなら、何のための民主化だろう。
当然,任何人都不拥有魔力。正因如此才需要进行对话,而不是诉诸暴力。倘若藐视少数人的生命以及权利的事态继续发展下去的话,如此民主化为的又是什么呢?