ある夜の星たちの話（1）

ある夜の星たちの話

小川未明

　それは、寒(さむ)い、寒(さむ)い冬(ふゆ)の夜(よ)のことでありました。空(そら)は、青々(あおあお)として、研(と)がれた鏡(かがみ)のように澄(す)んでいました。一片(ぺん)の雲(くも)すらなく、風(かぜ)も、寒(さむ)さのために傷(いた)んで、すすり泣(な)きするような細(ほそ)い声(こえ)をたてて吹(ふ)いている、秋(あき)のことでありました。
　はるか、遠(とお)い、遠(とお)い、星(ほし)の世界(せかい)から、下(した)の方(ほう)の地球(ちきゅう)を見(み)ますと、真(ま)っ白(しろ)に霜(しも)に包(つつ)まれていました。
　いつも、ぐるぐるとまわっている水車場(すいしゃば)の車(くるま)は止(と)まっていました。また、いつもさらさらといって流(なが)れている小川(おがわ)の水(みず)も、止(と)まって動(うご)きませんでした。みんな寒(さむ)さのために凍(こお)ってしまったのです。そして、田(た)の面(おもて)には、氷(こおり)が張(は)っていました。
「地球(ちきゅう)の上(うえ)は、しんとしていて、寒(さむ)そうに見(み)えるな。」と、このとき、星(ほし)の一つがいいました。
　平常(ふだん)は、大空(おおぞら)にちらばっている星(ほし)たちは、めったに話(はなし)をすることはありません。なんでも、こんなような、寒(さむ)い冬(ふゆ)の晩(ばん)で、雲(くも)もなく、風(かぜ)もあまり吹(ふ)かないときでなければ、彼(かれ)らは言葉(ことば)を交(か)わし合(あ)わないのであります。
　なんでも、しんとした、澄(す)みわたった夜(よる)が、星(ほし)たちには、いちばん好(す)きなのです。星(ほし)たちは、騒(さわ)がしいことは好(この)みませんでした。なぜというに、星(ほし)の声(こえ)は、それはそれはかすかなものであったからであります。ちょうど真夜中(まよなか)の一時(じ)から、二時(じ)ごろにかけてでありました。夜(よる)の中(うち)でも、いちばんしんとした、寒(さむ)い刻限(こくげん)でありました。
「いまごろは、だれも、この寒(さむ)さに、起(お)きているものはなかろう。木立(こだち)も、眠(ねむ)っていれば、山(やま)にすんでいる獣(けもの)は、穴(あな)にはいって眠(ねむ)っているであろうし、水(みず)の中(なか)にすんでいる魚(さかな)は、なにかの物蔭(ものかげ)にすくんで、じっとしているにちがいない。生(い)きているものは、みんな休(やす)んでいるのであろう。」と、一つの星(ほし)がいいました。
　このとき、これに対(たい)して、あちらに輝(かがや)いている小(ちい)さな星(ほし)がいいました。この星(ほし)は、終夜(しゅうや)、下(した)の世界(せかい)を見守(みまも)っている、やさしい星(ほし)でありました。
「いえ、いま起(お)きている人(ひと)があります。私(わたし)は一軒(けん)の貧(まず)しげな家(いえ)をのぞきますと、二人(ふたり)の子供(こども)は、昼間(ひるま)の疲(つか)れですやすやとよく休(やす)んでいました。姉(あね)のほうの子(こ)は、工場(こうば)へいって働(はたら)いているのです。弟(おとうと)のほうの子(こ)は、電車(でんしゃ)の通(とお)る道(みち)の角(かど)に立(た)って新聞(しんぶん)を売(う)っているのです。二人(ふたり)の子供(こども)は、よくお母(かあ)さんのいうことをききます。二人(ふたり)とも、あまり年(とし)がいっていませんのに、もう世(よ)の中(なか)に出(で)て働(はたら)いて、貧(まず)しい一家(いっか)のために生活(せいかつ)の助(たす)けをしなければならないのです。母親(ははおや)は、乳飲(ちの)み児(ご)を抱(だ)いて休(やす)んでいました。しかし、乳(ちち)が乏(とぼ)しいのでした。赤(あか)ん坊(ぼう)は、毎晩(まいばん)夜中(よなか)になると乳(ちち)をほしがります。いま、お母(かあ)さんは、この夜中(よなか)に起(お)きて、火鉢(ひばち)で牛乳(ぎゅうにゅう)のびんをあたためています。そして、もう赤(あか)ちゃんがかれこれ、お乳(ちち)をほしがる時分(じぶん)だと思(おも)っています。」
「二人(ふたり)の子供(こども)はどんな夢(ゆめ)を見(み)ているだろうか？　せめて夢(ゆめ)になりと、楽(たの)しい夢(ゆめ)を見(み)せてやりたいものだ。」と、ほかの一つの星(ほし)がいいました。
「いや、姉(あね)のほうの子(こ)は、お友(とも)だちと公園(こうえん)へいって、道(みち)を歩(ある)いている夢(ゆめ)を見(み)ています。春(はる)の日(ひ)なので、いろいろの草花(くさばな)が、花壇(かだん)の中(なか)に咲(さ)いています。その花(はな)の名(な)などを、二人(ふたり)が話(はな)し合(あ)っています。ふとんの外(そと)へ出(で)ている顔(かお)に、やさしいほほえみが浮(う)かんでいます。この姉(あね)のほうの子(こ)は、いま幸福(こうふく)であります。」と、やさしい星(ほし)は答(こた)えました。
「男(おとこ)の子(こ)は、どんな夢(ゆめ)を見(み)ているだろうか？」と、またほかの星(ほし)がたずねました。
「あの子(こ)は、昨日(きのう)、いつものように、停留場(ていりゅうじょう)に立(た)って新聞(しんぶん)を売(う)っていますと、どこかの大(おお)きな犬(いぬ)がやってきて、ふいに、子供(こども)に向(む)かってほえついたので、どんなに、子供(こども)はびっくりしたでしょう。そのことが、頭(あたま)にあるとみえて、いま大(おお)きな犬(いぬ)に追(お)いかけられた夢(ゆめ)を見(み)てしくしくと泣(な)いていました。無邪気(むじゃき)なほおの上(うえ)に涙(なみだ)が流(なが)れて、うす暗(ぐら)い燈火(ともしび)の光(ひかり)が、それを照(て)らしています。」と、やさしい星(ほし)は答(こた)えました。
　すると、いままで黙(だま)っていた、遠方(えんぽう)にあった星(ほし)が、ふいに声(こえ)をたてて、
「その子供(こども)が、かわいそうじゃないか。だれか、どうかしてやったらいいに。」といいました。
「私(わたし)は、その子(こ)が、目(め)をさまさないほどに、揺(ゆ)り起(お)こしました。そして、それが夢(ゆめ)であることを知(し)らしてやりました。それから子供(こども)は、やすやすと平和(へいわ)に眠(ねむ)っています。」と、やさしい星(ほし)は答(こた)えました。
　星(ほし)たちは、それで、二人(ふたり)の子供(こども)らについては、安心(あんしん)したようです。ただ哀(あわ)れな母親(ははおや)が、この寒(さむ)い夜(よる)にひとり起(お)きて、牛乳(ぎゅうにゅう)を温(あたた)めているのを不憫(ふびん)に思(おも)っていました。
　それから、しばらく、星(ほし)たちは沈黙(ちんもく)をしていました。が、たちまち、一つの星(ほし)が、
「まだ、ほかに、働(はたら)いているものはないか？」とききました。
　その星(ほし)は、目(め)の見(み)えない、運命(うんめい)をつかさどる星(ほし)でありました。
　下界(げかい)のことを、いつも忠実(ちゅうじつ)に見守(みまも)っているやさしい星(ほし)は、これに答(こた)えて、
「汽車(きしゃ)が、夜中(よなか)通(とお)っています。」といいました。
　ほんとうに、汽車(きしゃ)ばかりは、どんな寒(さむ)い晩(ばん)にも、風(かぜ)の吹(ふ)く晩(ばん)にも、雨(あめ)の降(ふ)る晩(ばん)にも、休(やす)まずに働(はたら)いています。
「汽車(きしゃ)が通(とお)っている？」と、盲目(めくら)の星(ほし)は、きき返(かえ)しました。