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万の死(2)

时间: 2022-12-25    进入日语论坛
核心提示:このとき、彼かれが、どんなことを考かんがえていたか、だれも知しるものはありません。生うまれつき、無口むくちの万まんは、思
(单词翻译:双击或拖选)
 
このとき、かれが、どんなことをかんがえていたか、だれもるものはありません。まれつき、無口むくちまんは、おもったこと、かんがえたことを、めったに、はなしません。役場やくばつとめてからも、まじめ一ぽうはたらくばかりでした。しかし、なにか、うまいものがかれはいると、だれのまえもはばからず、きっと、
「こんなものを、かあさんにべさせてやりたかったなあ。」と、いうのでした。そして、ところをわすれて、母子おやこが、さびしくまずしくらしたころのことをかべるのでした。また、なにかおもしろいもよおしでもあるときは、
「こんなのを、かあさんにせてやりたかったなあ。」と、かならずいうのでした。そして、すこしのたのしみもらず、一人ひとり子供こどものために、はたらきつづけた、みじめなやもめをおもすのでした。けれど、それさえ、かれくちさなかったから、かれが、どれほどの正直者しょうじきものであるか、るものがなかったのです。
かれは、日常にちじょう役場やくばまったり、自分じぶんやぶかえったりしていました。
ところが、いつからとなくみょうなうわさがむらなかにひろまりました。それはごろからまん生活せいかつり、かれ正直しょうじき人間にんげんおもっていた人々ひとびとにとって、意外いがいちぬことだったのです。
まんは、ひとりものだから、給料きゅうりょうだけで、りぬはずはないのだがな。」と、一人ひとり思案顔しあんがおをしていうと、
はやよめたすのがいいのだ。ひとりでいれば、どうしてもあそびにいくだろうから。」と、一人ひとりこたえました。
「だが、あのおとこにかぎって、そんなようにはえないが、かねをためているのかな。」
「ほかからりてまでかねをためることはしまいが、なにしろわかいものだもの、あそびにいくかもしれない。」
こんなはなしを、みちうえちながらするものもありました。そうおもうと、またべつのひとたちは、
「どうも、このごろのまんはおかしい。はっきりとはいえぬが、ばくちをするんでないかな。」と、一人ひとりが、分別ふんべつありげにあたまをかしげると、
「いや、あのかたおとこにかぎって、ばくちはしまい。それにしてもおかしいことだ。もうちっと、だまってようすをていよう。」
「おまえさんのところから、いくらりたんだね。」
「なに、たいしたかねでない。それだけおかしいのさ。かえそうとおもえば、いつだってかえせるのを……。」
こうして、まんについてはなしをするひとたちは、いずれもむらかねのある地主じぬしとか、物持ものもちとしてられてる人々ひとびとでした。これをても、まんは、かねりるのに、かねのありそうなひとたちだけをねらったものとみえました。このことは、そのそのはたらいてらさなければならぬものには、どういう事情じじょうがあっても、まんは、無心むしんをたのむになれなかったのでしょう。それであるから、まんは、だんだん金持かねもちからきらわれるようになったのもしかたがありません。しかし、かれ勤勉きんべん生活せいかつぶりは、だれのにも、いままでとわったとはえませんでした。
そのも、まん役場やくばからかえると、すぐやまへたきぎをりにかけました。うすさむい、あめもよいので、かれくらくなってから、あめにぬれながら、おもっていえへもどりました。このとき、えたものか、かぜをひいたのです。そのから、急激きゅうげきねつたかくなって、医者いしゃにもかかったけれど、ついに悪性あくせい肺炎はいえんこし、近所きんじょ人々ひとびと看護かんごをしてくれたかいもなく、とうとう、んでしまいました。
まん葬式そうしきは、わずかにかれむら人々ひとびとだけで、さびしくおこなわれました。当日とうじつひつぎむらて、山麓さんろく墓地ぼちへさしかかろうとすると、このとき、どこからあらわれたものか、たくさんの乞食こじきや、浮浪児ふろうじれつをつくって、ひつぎあとについてきたので、一どうがびっくりしました。としわかい、元気げんき役場やくばのものが、
今日きょうはおまえたちに、ほどこすものなんかないんだ。」といいました。すると、そのなかとしよりの乞食こじきが、
「そんなつもりでありません。おとむらいにきたんです。」と、こたえました。
これをくと、役場やくばのものはじめ、むらひとたちは、不思議ふしぎがして、きゅうには、なっとくできなかったのです。
「なぜ、わざわざ、こんなにしてやってくるのだ。」と、ひげをはやした書記しょきが、いちばんさきにいた宿やどなし少年しょうねんにたずねました。
「だって、んだおじさんは、おれたちに、やさしい、いいおじさんだったもの。」と、少年しょうねんこたえました。
「ほほう、どんなふうにやさしかったのか。」
この書記しょきばかりでなく、一どうが、意外いがい返事へんじに、おどろいて、少年しょうねんずにいられませんでした。
「おれたち、もらいがなくてかえれば、親方おやかたにしかられるだろう。そんなとき、おじさんにたのむと、おかねをくれたんだ。」
「おらあ、三日みっかめしわんとき、たすけてもらったんだ。」と、べつ少年しょうねんがいいました。そして、ここにいるものはみんなまんにめぐみをうけたものばかりだということがわかりました。
それは、ながあいだ、なぞであったまんの、金持かねもちから借金しゃっきんする理由りゆうが、これらのひとたちにほどこすためのものであったことをらせたのであります。
松林まつばやしなかに、まんは、母親ははおやならべてほうむられました。その土色つちいろのまだあたらしいはかまえには、ごとに、だれがあげるものか、いつもいきいきとした野草のぐさはなや、山草やまぐさ手向たむけられていました。また、つきあかるいばんなど、このあたりからこるふえは、まん霊魂れいこんをなぐさめるものとおもわれました。そして、村人むらびとみみに、切々せつせつとして、かなしいしらべをおくるのでした。こころあるひとは、人間にんげんの一しょうというものをかんがえました。
かれ本名ほんみょうは、万三まんぞうとか、万蔵まんぞうとかいったのであるが、むら人々ひとびとには、まんで、とおっていたのであります。
 
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