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万の死(1)

时间: 2022-12-25    进入日语论坛
核心提示:万の死小川未明万まんは正直しょうじきな、うらおもてのない人間にんげんとして、村むらの人々ひとびとから愛あいされていました
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万の死

小川未明


まん正直しょうじきな、うらおもてのない人間にんげんとして、むら人々ひとびとからあいされていました。小学校しょうがっこうえると、じきに役場やくば小使こづかいとしてやとわれました。かれは、母親ははおや一つでおおきくなりましたが、そのはははやんだので、まったくひとりぽっちとなりました。こんなことが、人々ひとびと同情どうじょうをそそるのでありましょう。どこへいっても、きらわれることなく、おくりました。
「おまえさんも、はやくおよめさんをもらうのだな。」と、ひとりぽっちのかれこころからあわれんで、いってくれるものもありましたが、
わたしには、まだそんな気持きもちはありません。」と、まんは、かしらをふりました。それには、はやいからという意味いみばかりではありません。始終しじゅう不自由ふじゆうをして、まずしくんでいった母親ははおやのことをおもうと、すこしのたのしみもさせずにしまったのを、こころからいるためもありました。
かれははは、じつにやさしかったのです。かれ父親ちちおやはやわかれたので、その不憫ふびんもあったのでしょうが、また、このなかはは一人ひとり一人ひとりとしてみれば、たがいにいたわりあうのが、むしろ、ほんとうのなさけでもありました。
――あるまんは、した学校がっこう復習ふくしゅうをしていました。はは眼鏡めがねをかけて、手内職てないしょくはりをつづけていました。まどそとでは、雨気うきをふくんだかぜが、はげしくいています。そして、そのとしれも間近まぢかせまったのでした。ははは、なにをおもったか、ふいに、まんはなしかけました。
「おまえが、まだ物心ものごころのつかないころだったよ。このむらに、おつるさんといって、孝行こうこうむすめさんがあった。こんなような、れにおしせまった、あるのこと、できあがった品物しなものってまち問屋とんやへとどけ、おかねをもらってかえりに、そのおかねをみんなとられてしまったんだよ。かわいそうに、それでむすめさんはかわげてんでしまいました。」と、ははかたりました。
これをくと、まんしたをむいてほんていたかおげました。
「だれに、おかねをとられたんです。ただ、それだけでんだのですか。」と、いかえしました。もっと、くわしいことがりたかったのです。
「おまえ、そのおかねがなければ、いえひとたちがとしせなかったのだよ。したには、ちいさいおとうとはたくさんいたし、それに、父親ちちおや病気びょうきていたんだからね。」
「どうして、そんな大事だいじかねを、とられたんだろうな。」と、まんは、不審ふしんでたまらず、あたまをかしげました。
「それが、まだわかむすめさんだろう、無理むりはないよ。活動写真館かつどうしゃしんかんまえって、ぼんやりと写真しゃしんていたそのすきをねらって、すりがすったらしい。まのわるいときというものは、すべて、そういうものさ。のついたときは、もうおそい。しかたがないから、おつるさんは、問屋とんやきかえしたんだよ。」
「かわいそうにな、問屋とんやさなかったんでしょう。」
「そうだな。おつるさんは、はたらいてかえすから、どうかおかねしてくださいと、主人しゅじんたのんだのだよ。おもいやりも、なさけもない主人しゅじんは、すげなくことわったのです。」
「なんといって。」と、まんは、かおあかくしながら、こみがってくる感情かんじょうを、さえきれませんでした。
「あんまり、あんたはむしがよすぎる、このかね出入でいりのせわしいれに、自分じぶん不注意ふちゅういからかねをなくしたといって、またせというのは。こちらもいそがしいので、いちいちたのみをきいていられない。なんとおっしゃっても、今日きょうはだめです、ってね。」
こまるからたのむんじゃないか! それから、どうしたの?」
「いつまでも、いえでは、おつるさんがかえらないので大騒おおさわぎとなり、いつしかむらじゅうのものがして、夜中よなかまで方々ほうぼうさがしたがわからなかった。二、三にちすると、死骸しがい川下かわしもほうかんだのだ。その当座とうざは、みんなが、問屋とんや主人しゅじんをわるくいわないものはなかったよ。」と、ははは、またつづけて、
「しかし、金持かねもちにはかなわないんだね。仕事しごとをさせてもらわなければならぬし、いつしかぺこぺこあたまげていくようになったよ。」
問屋とんやって、あのまち袋物屋ふくろものやですか。おおきいみせなのに、そんなかねがないわけでなし、どうしてだろうな。」と、まんきました。
「どうして。大金持おおがねもちだというけれど、もとは、みんな貧乏びんぼうひとたちをできるだけやすはたらかして、もうけたかねなのだから、かんがえれば、わたしどもは、ちっともうらやましいことはないのさ。」と、母親ははおやは、はり燈火あかりちかづけて、ゆびをはたらかしながら、いいました。このとき、まんには、なみだひかっていました。
そのまんは、いくたびもまちて、袋物屋ふくろものやまえとおりました。そのたびに、ここのいえだなと、おもって、なかをのぞきました。たいてい、きゃくはいっていてなにかていました。そして、めったに主人しゅじんかおなかったが、あるとき、四かくかおをした、それらしいおとこが、おうへいな言葉ことばつきで、ひとはなしをしていました。よく注意ちゅういすると、昼間ひるまからさけんだとみえて、いい顔色かおいろをしていました。相手あいてばかにするのは、やはり、こちらがなにかたのんでいるからでしょう。
まんは、むすめげてんだというかわにかかるはしわたるときは、かならずちどまって、欄干らんかんによりかかり、じっとみずて、かんがえるのであります。あるときは、さむかぜが、すすりくように、川面かわもいているのでした。また、なつ晩方ばんがたには、あかくもが、さながらながすようにうつっていることもありました。かれは、ははからいた、おつるさんという不幸ふこうむすめのことをおもしたのでしょう。
「なにより、いのち大事だいじなんじゃないか。ななければよかったのに。だが、おれは、まだちいさくて、なんにもできなかったのだ。」と、ひとりごとをするのでした。
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