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接待(せつたい)

时间: 2025-03-11    进入日语论坛
核心提示:接待(せつたい) (長野県長なが和わ町まち・下しも諏す訪わ町まち)   中山道の難所にある、旅行者にやさしい土地 江戸時代
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 接待(せつたい) (長野県長なが和わ町まち・下しも諏す訪わ町まち)
   中山道の難所にある、旅行者にやさしい土地
 
 江戸時代に整備された五街道の一つ「中なか山せん道どう」は宿場の数が六九次で、同じ江戸から京都まででも、東海道五三次より一六も多い。これは、木曽路という山道が含まれているからだ。とくに信濃国に入ってからは二六次、各宿場間も一~二里という短さだ。
 しかし、そのなかでは、和田宿と下諏訪宿のあいだだけ五里一八町(約二三キロ)と長い。これは、途中で和田峠を越えるためだ。この距離と急な山道のため、峠の東側と西側に茶店が設けられて休憩ができるようになっていた。この茶店はいわば公設で、峠を管轄地域にもつ代官から手当の出る正規の休憩所だった。
 それ以外に、峠の東側に公設の茶店とは別の休憩所が置かれていた。その場所が、いま「接待」という地名となって残っている。四国遍路の人たちに、地元住民が「お接待」と呼ぶふるまいをしたのと同じで、施行所と呼ばれた民間の接待所があったことの名残だ。
 一八二八(文政十一)年、江戸で成功した商人が地元の世話役の協力を得て、道中奉行に施行所の設置を願い出たのが認められた。施行所にかかる費用は、商人が幕府に一〇〇〇両を貸し付ける形をとり、その利息を施行所運営の費用に使うという提案を、幕府が受け入れたのだ。
 施行所では、馬のための飼かい葉ば、旅人や人足に粥かゆを用意し、雪の深い冬の期間は暖をとるための焚き火もしたという。中山道のほかに東海道にも民間による施行所はあったようだ。箱根峠を三島へ下る途中に「接待茶屋」、遠江とおとうみ榛はい原ばら郡の「摂待」も、その名残の地名である。
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