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大泉学園町(おおいずみがくえんちよう)

时间: 2025-03-11    进入日语论坛
核心提示:大泉学園町(おおいずみがくえんちよう)(東京都練馬区)   いまも昔も大学はないのに、「学園」という名が付くワケ JR中
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大泉学園町(おおいずみがくえんちよう)(東京都練馬区)
   いまも昔も大学はないのに、「学園」という名が付くワケ
 
 JR中央線の国くに立たち駅では、駅前再開発計画によって、利用者に親しまれていた三角屋根の旧駅舎が取り壊されることになったとき、駅舎の保存運動が起こって話題になった。その駅舎は、一橋大学を擁する学園都市・国立を象徴するものだったからだ。
 国立ばかりでなく、大学があることで周囲に閑静な住宅地が広がり、町のイメージアップにつながっているところは多い。そのような場所では町名に学校名が使われていたり、駅名が「○○学園前」だったりすることも少なくない。
 ところが、東京都練馬区の「大泉学園町」は、町名にも駅名にも「学園」が付いているのに大学はなく、過去にも一度も存在したことがない。それは、土地開発会社や鉄道会社による学園都市づくり計画の遺物だからである。
 大正時代の末期から、ドイツをモデルに学園都市建設を計画したのは、箱根土地株式会社だった。現在の西武鉄道の前身である同社は、一九二五(大正十四)年、東京商科大学(現・一橋大学)の誘致を前提に、大泉学園町の土地を区画整理して売り出した。もとは畑や雑木林ばかりだった大泉村である。
 上下水道と電灯を完備し、街路樹を植えた道路や公園が整備された、当時としてはモダンな街並みに、商店街の設置も前提として、鉄道の駅名も「大泉学園」として売り出したのだった。
 ところがその後、大学の誘致に失敗してしまったのである。そのため、大泉学園はまさに名前ばかりの学園都市になってしまったというわけだ。
 その後、箱根土地株式会社は北多摩郡谷や保ほ村と呼ばれていた地域を、大泉学園と同じ手法で売り出す。ここに東京商科大学が移転してきて成功したのだから、大泉学園町にとっては皮肉そのものである。そして、その谷保村こそ、いまの国立市なのである。
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