盛岡(もりおか) (岩手県盛岡市)
「不こ来ず方かた城じよう」という名を改めた城の名前
「盛岡」は南部氏の城下町である。南部鉄器、南部馬など特産品の名前から南部藩と称されることも多いが、城名でもある盛岡藩が正式な名称である。
南部氏の先祖は甲州出身の武士で、鎌倉時代末頃から陸む奥つ国糠ぬかの部ぶ郡を支配するようになっていた一族だった。戦国時代は豊臣秀吉、徳川家康にそれぞれ臣下し、陸奥国での勢力を安定させていった。
そんな南部氏が、盛岡城築城をはじめたのは一五九七(慶長二)年だが、選んだのは、すでに不来方城主として南部氏に従っていた福士家の城があった場所だった。
ただ、城といっても中世城館づくりの平ひら城じろで、南館と北館に分かれていた建物の南館部分を壊しての築城だった。そのようないきさつからか、南部氏は城の名前を改めている。
そのとき決めたのが、繁栄するという意味の「盛さかる」岡と書いて「もりおか」と読む名前で、それがそのまま藩名、地名となったのである。
また、この築城をきっかけに所領の九くの戸へ城を福岡城に、鳥と谷やヶが崎さき城を花巻城にと、同時に縁起のよい字を使った名に改めている。
なお、盛岡という地名になる以前の「不来方」という名称は、天正年間(一五七三~一五九二年)頃から城の名として使われていたもので、館のあった地域の名、あるいは一帯を指す郷の名だったかは定かではないという。