東京白銀ホテルで、心身堂主催の日本語スピーチコンテストの本選が開かれている。
(中国人の郭蓮蓮がスピーチする)
皆さん、こんにちは。わたしは、郭蓮蓮と言います。中国の大連出身です。3か月ほど前に日本に来ました。現在、アルバイトをしながら日本語学校に通っています。
まず、わたしと日本語の出会いからお話したいと思います。わたしは日本のアニメがすきで、小学生のころから、インターネットやVCDなどでよく見ていました。最初は中国語の吹き替えで見ていたのですが、そのうちに日本語の音声で見るようになりました。当然、初めのうちは、全く日本語を聞き取ることができませんでした。それでも、毎日のように繰り返していると、次第に日本語に耳が慣れてきて、自分でも台詞に合わせて発音してみるようになりました。そして、なんとなくですが、意味も分かるようになりました。わたしにとって最初の日本語の先生は日本のアニメだったといってもいいかもしれません。
その後、日本の漫画もわたしの先生になりました。やはり、最初は中国語の翻訳だったのですが、やがて日本語版を入手して読むようになりました。平仮名はあまり読めませんでしたが、絵や漢字を頼りに、どうにかストーリーを理解することはできました。こうして頻繁に漫画を読むうちに、日本語の文字にも自然になれていきました。今考えると、漫画には擬声語がたくさん使われていて、ストーリーの理解にとても役立っていたように思います。例えば、ドアをノックする「トントン」や「ドンドン」、食器が割れる「ガチャーン」、大きな岩が転がる「ゴロゴロ」、人が走っている「ダッダッダッ」などです。
このように、わたしは、日本語の音声はアニメで、日本語の文字は漫画を通して親しむようになっていました。でも、話すほうはほとんどできませんでした。そこで、日本語を話せるようになりたいと思い、中学と高校の外国語は日本語を選択しました。さらに、高校卒業後は、大連にある語学学院に進み、日本語を専攻しました。これは、アニメやマンガを通して日本語に出会っていたわたしにとっては、ごく自然の選択でした。
このころから、アニメや漫画をもっと楽しみたいという単純な気持ちに加えて、将来、社会に出た時に、日本語ができたほうが有利だという考えを持つようになりました。中国語と日本語を使って仕事がしたい。日系の企業に勤めて、高い給料をもらいたい。そんな欲が出てきたのです。
しかし、日本語を学んでいくうちに、徐々に、わたしの中で日本語に対する思いが変わっていきました。中級レベルの日本語が身に付けば日常会話にはほとんど困りませんが、一方で、日本語でコミュニケーションが図れるようになると、文法的には正しいけれど、日本語らしくない言い方や、日本人はそんなふうに言わないというようなことが分かるようになりました。例えば、目上の人への言葉のかけ方です。一度、ある先生に、「先生は英語がなかなかお上手ですね。感心しました。」と言って、すごく不愉快な顔をされたことがあります。日本語では、目下が目上を直接ほめることは失礼な発言になるということを知らなかったのです。また、日本人のお宅に招かれて、お土産を持っていった時のことです。「おいしいお茶をわざわざ買ってきました。どうぞ飲んでください。」と言って渡したのですが、こういう時は、渡す側が「わざわざ」とは言わないと指摘されました。「たいしたものではありませんが、お召し上がりください。」などと言ったほうがいいということでした。こうした経験を通して、日本語という言葉を学ぶことは、日本文化そのものを学んでいることだと気づいたのです。
でも、逆のことも言えます。中国人のわたしが日本語を学ぶというのは、中国の文化を日本語で発信することでもあります。日本に来て、こんなことがありました。わたしは、あるイタリア人の留学生と出会い、親しくなりました。彼女とわたしはとても気が合い、いっしょに勉強したり遊びに出かけたりして、現在も交流を続けています。陽気な彼女といると、いつも楽しい時間を過ごすことができます。もちろん、わたしたちの共通語は日本語です。日本語を通して、日本人や日本のことを語り合うだけでなく、わたしが知っている中国のことを話すこともあれば、彼女が身振り手振りを交えてイタリアのことを話すこともあります。いろいろ話すうちに、彼女は中国のことに興味を持つようになったと言ってくれました。わたし自身もイタリアの人々や文化に親近感を持つようになりましたし、イタリア人に陽気な人が多い理由もなんとなく分かったような気がします。こうやって、わたしたちは、日本語で、お互いの情報を発信したり受信したりしていたのです。大げさに言えば、日本語を介して双方の文化を交換していたのかもしれません。
言葉を学ぶということが、こんなにも奥深いものだとは思ってもみませんでした。言葉を学ぶ。そこには、その対象となる言葉の背景にある文化を知るという面があり、一方で、自分の国の文化、つまりわたしの場合は中国の文化を発信しているという面もあることを、身をもって学びました。そして、わたしについて言えば、日本に来て、イタリア人の友達との出会いがあればこそ、このような体験ができたのだと思います。
中国にいたころに比べ、この3か月間、日本で生活したわたしは大きく変わったような気がします。日本に来る前は、日本語というツールをブラッシュアップして、何かしら現実の利益につなげたいという思いでいっぱいでしたが、日本で生活しているうちに、日本語は、わたしにとって、単なるツールではなくなってきました。日本語が分かる人となら、日本語を介してお互いの理解を深めることができます。わたしは、もっともっと日本語を勉強し、もっともっと多くの日本人や外国人と親しくなり、お互いの国や文化について語り合いたいと思います。1つの言葉を通してその国の文化を知り、さらにその言葉を学ぶ多くの外国人と知り合い、その交流の輪を広げていく。こんな小さな国際交流を大切にし、深めていく。それが、わたしの「国際化社会で自分らしく生きる」なのです。
最後になりましたが、本日、このような機会を与えてくださった関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
ご清聴ありがとうございました。
新出語彙2
にほんごがっこう(日本語学校)[名] 日语学校
ブイシーディー(VCD)[名] 视频光盘
ふきかえ(吹き替え)[名] 配音
せりふ(台詞)[名] 台词,道白
どうにか[副] 好歹,总算;设法
ストーリー[名] 故事情节;故事
トントン[副] 嗵嗵
ドンドン[副] 咚咚
ころがる(転がる)[动1自] 滚转,倒下;扔着
ゴロゴロ[副] 咕隆咕隆;轰隆轰隆
ごがくがくいん(語学学院)[名] 外语培训学院
ちゅうきゅう(中級)[名] 中级
ぶんぽうてき(文法的)[形2] 语法上
ふゆかい(不愉快)[形2] 不愉快,不高兴
めした(目下)[名] 晚辈;部下
ようき(陽気)[名・形2] 开朗,爽朗;欢乐
かたりあう(語り合う)[动1他] 谈论,交谈
みぶり(身振り)[名] 姿势,动作
てぶり(手振り)[名] 手势
まじえる(交える)[动2他] 夹杂;交,交换
こうやって[副] 这样
じゅしんする(受信~)[サ变他] 接收信息
かいする(介~)[サ变他] 通过……;介于……之间
そうほう(双方)[名] 双方
ブラッシュアップする[名・サ变他] 刷新,复习
なにかしら(何かしら)[副] 某种;不知为什么,总觉得
たんなる(単なる)[连体] 只,单,只不过
せいちょう(清聴)[名] 倾听,安静地听
ガチャーン 哐啷;嘎噔
ダッダッダッ 哒哒哒
みみがなれる(耳が慣れる) 听惯,听熟
よくがでる(欲が出る) 有……欲望
きがあう(気が合う) 投缘,合得来
みぶりてぶり(身振り手振り) 指手画脚
みをもって(身をもって) 亲身,亲自
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