もともと笑いは、自己の優越感の確認から生まれると言われる。バナナの皮で滑るのを見て笑うのから、もっと残酷な笑いまで、たしかに笑いに悪意がつきまとうことが多い。
しかし笑いが生命感の充実から生まれるというのも事実なのだ。むしろ笑いの本流にこちらにあり、生のエネルギーがあふれて外に出るのが、本来の笑いなのだ。たとえば赤ん坊が笑うとき、気持ちのよさ、楽しさ、嬉しさを表現しているのであって、決してその逆ではない。
ところで、最近感じられる笑い——人々が求めている笑いとは、この朗らかさ、楽しさとしての笑いであるように見える。こんな危機とストレスの覆いかぶさった世界で、そんな笑いは作り物の笑いだと言って、反対する人ともいるが、笑いというのは、状況への判断の表現にほかならない。赤ん坊は気持ちのよい状況に自分がいると判断するから、嬉しそうに笑う。大人は事情がもっと複雑だが、しかし、基本の構造は同じである。
もともと人類が地上に生まれた以来、危機とストレスがなかった時代は考えられない。しかしそんな中でも、人は笑うことができた。それは花を見たか、美しい恋人ができたか、何らかの理由で生きていることがすばらしいと思い、生命感の充実を味わったからなのだ。
1、「基本の構造は同じである」とあるが、ここで何のことか。
①笑いは、状況への判断の表現であること。
②人々が求めている笑いとは、この朗らかさ、楽しさとしての笑いであるように見えること。
③こんな危機とストレスの覆いかぶさった世界で、笑いは作り物だということ。
④赤ん坊も大人も気持ちのよい状況に自分がいると判断するから、嬉しそうに笑うこと。
2、「それ」とは、何のことか。
①人類が地上に生まれた以来、ずっと危機とストレスの中に生き抜いてくること。
②危機とストレスの中でも、人は笑うことができること。
③赤ん坊も大人も笑いの基本の構造は同じであること。
④人々が求めている笑いとは、この朗らかさ、楽しさとしての笑いである。
3、「本来の笑い」について、筆者はどのように考えているか。
①本来の笑いは、自己の優越感の確認から生まれるものだ。
②赤ん坊の笑いは本来の笑いだ。
③人々が求めている笑いとは、本来の笑いだ。
④本来の笑いは生命感の充実から生まれるものだ。