人間はいつからこんな夜行性を強めたのだろうか。もちろん昼間働くのが常態であるが、こと、知的活動になると、夜きめてしまう。(中略)
そして、いつの間にか夜の信仰とも言うべきものをつくりあげてしまった。現代の若者も当然のように宵っ張りの朝寝坊になって、勉強は夜ではなくてはできないものと、思い込んでいる。朝早く起きるなどと言えば、老人くさい、と笑われる始末である。
夜考えることと、朝考えることは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか、ということを何年か前に気付いた。朝の考えは夜の考えとはなぜ同じではないのか。考えてみると、面白い問題である。
夜考える前に書いた手紙を、朝、目を覚ましてから読み返してみると、どうしてこんなことを書いてしまったのか、とわれながら不思議である。
外国で出た手紙の心得を書いた本に、感情的になって書いた手紙は、かならず、一晩そのままにしておいて、翌日、読み返してから投函せよ。一晩経ってみると、そのまま出すのが躊躇われることが少なくない。そういう注意があった。現実的な知恵である。
それに、どうも朝の頭のほうが、夜の頭よりも、優秀であるらしい。夜、さんざん手こずって、うまく行かなかった仕事があるとする。これはダメ。明日の朝にしよう、と思う。心のどこかで、「今日できることを明日に延ばすな」という諺が頭を掠める。それを押さえて寝てしまう。
朝になって、もう一度、挑んでみる。すると、どうだ。夕べはあんなに手に負えなかった問題が、するすると片付いてしまうではないか。昨夜のことがまるで夢のようである。
はじめのうちは、そういうことがあっても、偶然だと思っていた。夜の信者だったからであろう。やがて、これはおかしいと考えるようになった。偶然にしては同じことがあまりにも多すぎる。遅まきながら、朝と夜とでは、同じ人間でありながら、人が違うことを思い知らされたというわけである。
1、「夜の信仰とも言うべきものを作り上げてしまった」とあるが「夜の信仰(信仰夜)」とはどういうことか。
①夜働き、朝や昼に睡眠をとること
②若者と同じような生活をすること
③老人のような生活をすること
④勉強や考えることは夜のほうがいいと思うこと
2、「これはおかしい」とあるが「これ」とは何か。
①外国で出た手紙の心得を書いた本の内容について
②「今日できることを明日に延ばすな」という諺
③夜、手に負えないことが、朝だと簡単にできてしまうことが何階があったこと
④朝と夜では、夜のほうがいい考えが浮かぶこと
3、筆者がこの文章で一番言いたいことはどんなことか。
①夜行性の人が増えているが、老人のようだと言われても、朝働いたほうが効率もいいし健康にもいい。
②知的活動は夜する習慣があったが、朝のほうが効率よく片付くことが分かった。
③手紙の心得を書いた外国の本を読んで、手紙は一晩おいて翌日読み返して出したほうがいいと分かった。
④朝、知的活動をすることは決して老人くさいことではないので、若者も生活を変えたほうがいい。