その時の相談の内容を私は全く覚えていない。看護士さんであるシスターが、フランス語でもない土地の部族の言葉で机の上においた薬を前に何か説明した。それは週に一回飲めばいい予防薬で、大人は四錠、抱いていることもにはその半分の二錠を飲ませる、ということだったのである。しかしその母はどうにも理解できないような曖昧な表情で、あげくの果てに弱々しい声で言った。「薬はもらって帰らずに、また次の週にここで飲ませてもらいます」
シスターは彼女を帰したが、その後でいささか溜め息まじりに事情を説明してくれた。
この土地では、多くの人が半分という概念を持てないのだという。「来週また来ます」と言っても、家の在り処を聞くと10キロくらい離れているらしい。その距離を子供を負ぶって、人によっては裸足で歩いて来るのは大変なことだ。裸足の足の裏は象並みに分厚くなっているから別に痛いということはないのだろうし、最近は確かに裸足人口も減ってきている。しかし、片道10キロずつ、往復②0キロを栄養不良の痩せたからだで歩くのは、楽な仕事ではない。薬を持って帰ればそんな思いをしなくてすむのに、それができないのである。
1、「文盲も決してその人の素質ではない。むしろ社会的病気である」とあるが、筆者の言いたいことはどういうことか。
①文盲というのは生まれ持ったものではなく、その人の責任でもないので、取り上げる必要はない。
②文盲というのは生まれ持ったものではなく、文盲をつくり出す社会に問題がある。
③文もうというのは生まれ持ったものではないので、差別語として考えるのはおかしい。
④文盲というのは生まれ持ったものではないので、文盲という言葉をもっと普通に使うべきた。
2、「薬はもらって帰らずに、また次の週にここで飲ませてもらいます」とあるが、どうしてか。
①家は遠いが、通い慣れた道なので、その母親は大変ではないと思ったから。
②一週間に一回飲む薬なので、母親はもらって帰る必要はないと思ったから。
③家は遠くて大変だが、その母親は靴があるので歩くことに問題がないから。
④その母親は説明を聞いても、子供に飲ませる薬の量がよく理解できないから。
3、「薬を持って帰ればそんな思いをしなくてすむのに、それができないのである」とあるが、このときの筆者の気持ちに一番近いのはどれか。
①薬を買うお金がないということは、本当に大変なことだと思う。
②もっと近くに病院を作れば、遠い病院に来なくてもいいのにと思う。
③半分という言葉を誰も教えてあげる人がいないことを残念だと思う。
④教育を受けていれば、不自由な思いをしなくてすむものだと思う。