人を訪問したい時、相手の都合を聞くのに、よくこういう言い方をします。
何でも平等という人が多くなって、日常、身の回りから次第に影が薄くなってきているものの一つに、こうした謙遜語があります。相手よりも自分の方を低目に扱う姿勢を表しますが、これを一概に、媚びとか屈従、被支配に結び付けるのはどうかと思います。学歴、職歴を問わず、人生の辛苦に長年月耐えて生きてきた人に対する物言いは、同年の者への物言いとは異なるのが自然ではないでしょうか。謙遜を支えるのは、たとえばこのような、内から自然に湧き出してくる「敬い」の気持ちのはずだと思うのです。ですから、謙遜語が使われなくなると言うことは、人を気遣うとか「敬い」の気持ちとかが失われていくことのように思えるのです。
言葉は意味が通じさえすればいいというものではないと思います。私は日常の言葉には、そのまま、( )と気づいてから、私には言葉をめぐる楽しさも増えたかわりに、不安も恐ろしさも増えました。
1、( )に入るものとして、最も適当なのはどれか。
①人それぞれの生き方が表れている
②経済的な豊かさを測る基準である
③その人の教養や知識の程度が表れる
④生まれ育ちの良し悪しが表れる
2、謙遜語に対する筆者の考え方と合っているものはどれか。
①謙遜語が次第に使われなくなったのは、社会が平等になったからである。
②謙遜語の使用は目上の人に対す礼儀であり、守るべき日本の美徳である。
③謙遜語とは、内から自然に湧き出してくる「敬い」の気持ちの表れである。
④媚びや屈従の謙遜語は使うべきではないが、「敬い」の謙遜語は使うべきだ。