摂関政治は藤原氏が娘を天皇に嫁がせることで外戚としての権力を保有し、天皇に代わる政治執行人として「摂政」?「関白」の地位に就いて政治を取り仕切り、又は天皇の補佐者として政治の実権を独占し続けたい、その地位を代々継承していく政治体制のことである。摂関家が統治権を握ることにより、他の家系は出世の見込みがなくなり、特定の業務を担当することで貴族としての生き残りを図っていった。その後、武家政治によって摂関政治は完全に消滅したかに見えたが、摂政?関白職は存続していたため、武士達は権力の拠所として摂関家を大いに利用した。その最たるものが豊臣秀吉の関白職就任であろう。秀吉は関白としての地位を最大限に利用し、ある意味、摂関政治を復興させたと言えなくもない。明治時代になって、摂政?関白は廃止され、同時に摂関政治は完全に消滅する事となった。現在、摂政のみが存続を認められ、天皇の公務を代行する役目として皇太子など皇族のみが任ぜられる職として皇室典範に定められている。
4.摂関政治とは何ですか。