家に帰ったら、宴会。
兄貴が久し振り、一か月ぐらいいなくて、もどってきてた。親父の横であぐらかいてるのがチラッと見えてね。
兄貴ったって、年が十違うし、おふくろも別だからさ、そのへんのふつうの兄弟みたいにベタベタした関係じゃないの。
「すんません、遅くなりました」
でかい声で叫んで、靴、蹴《け》り飛ばして脱いで、土間から上がった。遅くなりました、ったってさ、べつに兄貴がいつ帰ってくるかとか、メシが何時から始まるかなんて、なーにも決まってないのよ。でも、みんなが楽しく宴会する時に、俺みたいないちばん若いやつがいないっていうのは、すっごく悪いことなんだよね。
そりゃそうだろ、ジョーシキ。
上がってすぐのところ、いちばん端の畳に正座してから、もう一回、遅くなってすいません、って、そうね、どっちかっていうと、テーブルの上で湯気たててる鍋《なべ》に向かって頭下げた。
オゥ、とか親父が言って、
「龍二、元気か」
兄貴が訊くから、ハイ、って、また、でかい声で返事した。
当然、元気だぜ。
「まあ、飲め」
また、ハイ、っよ。そんなもん、他に返事のしようは、ないわな。
安《やす》さんが、ビールついでくれた。いただきます、って、俺、叫んでばっかり。
で、ね、コップをぐいってあけて、そしたらさ、指がプーンって匂うの。なにがって、小川よ。小川のあそこの匂い。
俺が、ウッてしてたら、安さん、ニヤニヤして小指たててくんの、俺だけにわかるように。今日、出かけるとこから見られてるからなあ。
そしたら、おふくろがおしぼりを持ってきてくれた。さすがに気がきくね。わかってやってんじゃないだろうけど。
それって、ちゃんと、うちで洗ったやつよ。親父の会社でリースしてる、あのキャバレーなんかにおろす、きったねえやつじゃなくて。
安さんたら、まだニヤニヤしてんの。
このひと、いい味出してるひとでねえ、仕事はもうひとつらしくて、親父が文句いってることもある。でもね、だれにだって、すごくやさしいの。俺なんか、いつもめんどうみてもらってる。
親父の仕事って、職業欄に書くときは建設業。本当よ。中沢総業株式会社代表取締役社長。兄貴は専務、おふくろは監査役。
で、まあ、その他もろもろ。何でもうかってんのかは、よくわかんないけどね。兄貴は、いま工場なんかから安いもの仕入れて、トラックであちこち売って回るのしてる。この仕事はきついぜ、きっと。
それで、今日で一段落ついたみたい。だから、十五人ぐらいの宴会になった。ふたりほど、俺が口きいたことないひともいた。
学校出るまでは、あんまり家の仕事するなって、俺はね、親父に言われてる。荷物積むの手伝ったりはするけど。
俺さあ、こう見えても、わりと成績が良かったのよ、小学校でみんなが勉強しないころは。算数はクラスで五番とか。
で、親父は、機嫌がいいと、大学行けとか医者になれとか言ってた。でも、中学はいって、バスケットばっかしてて勉強しなかったら、テストっていい点とれないじゃない。当然よねえ。
こんど陸上で高校に行くことになって、一応、それはかまわないみたい。高校の名前は有名だし、大学がくっついてる。医者にはなれないけど、まあ、そのまま上にすすめる。あんま先のことは、俺は考えてないし、親父だってそうなんだろうな。
俺、こんな話、好きじゃない。
なんか、もっとパーッといきたいじゃない。けど宴会が終わりに近づいて、そんなことになっちゃったのよね。
「龍二、走るのはおもしろいんか」
兄貴が言ったとき、俺、うどんほおばってて、すぐには答えられなかった。
「まあまあ」
いいかげんな返事だな。
野球とかさ、サッカーやバスケットなんかに比べると、やっぱ、そう楽しそうには見えないわね、ふつう。おもしろいって、俺は答えられるはずなんだけど、ひとにうまく説明できないじゃないの。
兄貴は気分がいいみたい。
「やめたくなったら、やめちまってもいいぜ」
親父は何も言わない。もう、酔っぱらってる。目つきでわかる。
兄貴は高校を中退した。理由は知らない。十年ちかく前のことだ。安さんに言わせると、学校なんかでおとなしくしてられるタマじゃないからって。まあ、そんなとこなんだろ。
で、俺の高校の話が出るくらいだから、座はしらけてて、もうおひらきね。
俺も、三階にある自分の部屋にいった。うちはさ、住込みのひととかいて、ビルになってんの。小さいけど。
なんか、あしたからこのうち出て、寮に行くのかなって思ったら、やっぱ、ちょっと淋《さび》しかったね。うん、小川のときよりも。
窓あけて外見ると、いつもともちろん同じでさ、きったねえ、流れてんだかわかんねえような川があって、その向こうは安アパート、夜なのに洗濯物がいっぱい下がってる。
俺、しんみりしてたのよ。
そしたら、ノックもなしでドアが開いて、だれかと思ったら、兄貴。
これ、もってけって、封筒出すの。渡されて、ちょっと厚みがあるなって気がしたら、十万。こんなにいいよ、親父にだってもらってる、って言った。
「金は多すぎるってことはねえんだ」
兄貴が一度差し出したものをひっこめるはずがないから、ありがたくもらっておいた。
「やめたくなったら、やめちまってもいいんだ。仕事はいくらでもある」
そう言って、兄貴は出てった。
俺、兄貴にはずいぶん殴られたのよね、昔から。
金もらったから言うんじゃないけど、まあ、俺はこのうちが好きなんだろうな。ふだん考えてもみないけど。
開けたままの窓の外がガヤガヤした。
うちの前の道は、サーチライトみたいなので照らしてるから、めっちゃ明るいの。変なやつが隠れてたりできないように。
兄貴が若いもの、ったって、兄貴だってまだ若いんだけど、何人か連れて、親父のベンツに乗りこんだ。今夜はひと晩じゅう遊びなんだろね。
俺は、俺はもう寝るの。明日からは、寮にはいって、八〇〇メートル。