夏休み。
当然、授業はなくなる。練習はある、このクソ暑いのに。ただ、家から通えるものは、そうしてもいいって。
もちろん、喜んで帰ることにしたね。
だからって、俺、寮にそんなに文句あるわけじゃないのよ。でも、三か月もしたらメシだって似たようなもんの繰り返しになるし、まあ、毎日の生活に飽きてくるわね。それに、ねえ、なんていったって、伊田に会うのが、ずっと楽になるもの。
俺が、荷物(ったって、そんなにないけど)まとめてたら、ハンマー投げのでぶの吉田さんたら、
「つまんないねえ、夏休みは。みんないなくなっちゃって」
って、大きな背中でため息つくの。
「先輩は、帰る家ないんですか?」
つい、俺、訊《き》いちゃった。
実は、このひとのこと、ほとんど知らない。相部屋になってたって、あんまりものしゃべるひとじゃないし。
ハンマー投げの記録は立派なんだから。安定して六〇メートル近くほうれる高校生って、そうはいない。
前に、俺、遊びでやってみた。
自分の練習が始まるまでの時間。ボーリングなんかさせたって、俺って才能あるでしょ。だから、こんなの楽なもんだ、投げりゃいいんだってね。力自慢のおでぶちゃんたちで争ってる種目だけど、俺だってさ、五〇メートルやそこらはいくだろうって思ってた。
で、握って、振ってみたら、なんか違う。
ハンマー投げってどんなもんか知ってる? 金属のワイヤーの先に砲丸がついてるって思ってくれたら、ま、そんなに間違ってないな。
そのワイヤー握って、からだごと三回転か四回転させて、ビューンってほうる。これがね、回すだけでわりと難しいの。最初、からだがグラってきちゃって、おっ、こりゃいかんって思ったから、気合い入れ直した。
それで、俺、ちょっとすぐにほうるのはあきらめて、まず、ターンの練習始めたの。
だって、みっともないでしょ、陸上部で見てるやついるのに、そのへんに、ぽとりって落ちたりしたら。
それで、回しだしたら、おもしろいじゃないの。スピードがでる。
これ、俺がね、ガンガン、メシ食って、からだ鍛えたら、飛ぶね。ま、俺ぐらい身長があって、筋肉で一〇〇キロにもってってごらんよ、日本新だ。
俺は、やっぱ、八〇〇メートルやってたいけどね。そのほうがかっこいいもん、女の子にキャーキャー言われて走ってるほうが。
ふん、ふん、と思って、ハンマー置いたら、金網の向こうで吉田さんがニコニコしてた。白いTシャツの上に紺のランニング、立派な上半身。
「中沢くん、やってみる? ハンマー。教えてあげるよ」
同じフィールドでも、ハイ・ジャンプなんかと比べて人気ないから、誘いたいんだろうな。
「いやっ、いいっすよ。ぼくなんか無理っすよ」
けんそん。
「そんなことないよ。誰でもすぐにうまくなるよ」
先輩、誘い方間違ってますよ。誰でもじゃなくて、中沢くんなら、ですよ。
で、お手本で投げてくれたの。
三回転して、ウワアッ、て叫んで気合い入れて投げる。軽くやってるのに、すごく飛ぶ。吉田さんのこと、ちょっと見直した。ただのでぶじゃなかったのねえ。
それで、夏休みの話。
俺がばかなこと訊いたでしょ。そしたら吉田さんたら、
「そう、家、帰れないんだ」
って言い出すの。
「うちにいると、ご飯ばっかり食べるって嫌われる。無駄飯食いだって。ここだったら寮のおばさんたち優しいから、たくさん、とっといてくれるでしょ」
全然、元気ない。
俺、ジーンとしちゃって、うちに誘った。俺の家なら、ひとがいっぱい出入りしてるし、いくらだってメシ食える。それで、うちの仕事、俺と一緒に手伝ったら気がねはいらないって。
でも、遠慮するの。でぶのくせに細かい神経してるみたい。
それで、そのあと一階の自動販売機に牛乳買いにいって、休憩室に三年のやつらがいたから、
「ああ見えても吉田さんもたいへんなんですねえ。家が貧乏で」
って言ったら、みんな顔を見合わせて、笑うの。
この話、有名なんだって。吉田さんのたったひとつ言える冗談。貧しくて、満足に食べさせてもらえない。
本当は、だいぶ金持ちらしい。だけど、あの腹で言われると信じちゃうよねえ。
今日は、また、見直しちゃった。吉田さん、嘘つけるじゃないの。
でもね、実際、家は嫌いなんだろう。帰ろうとしないんだし。それぞれいろいろある。
ま、そんなわけで、夏休み。