一、二マイル追いゆきしころ、彼らは夜番の牧人 まきびと に出会い、追跡の犬の群れを見かけ
なかったか、と大声で呼びかけた。その男は……父の聞くところでは……恐怖に心も転倒
し、口を開くこともできなかったが、ようやく口を開いて、犬の群れに追われて逃げゆく
哀れな乙女を見たと言い、さらに言葉をついで、《わしが見たのはそれだけではない。
ヒューゴー・バスカーヴィルが黒毛の馬を走らせる後から、地獄犬が、声しのばせて走っ
て行った》と語ったという。
酔漢どもは牧人に悪罵 あくば を浴びせて、さらに馬を走らせた。だが間もなく、沼地を渡る
馬の響きが聞こえ、白い泡をふきながら手綱を後にひき、人なき鞍 くら をゆすぶりながら通
り過ぎる黒毛の馬を見るに及んで、一同、肌に粟 あわ だつ思いだった。酔漢どもは馬を集め
て一団となり、満身これ恐怖、衆をたのんで、なおも進んだが、もしひとりならば早々に
して馬の首をめぐらせて逃げ帰ったであろう……。こうしておそるおそる進んでゆくと、
犬の群れに出会った。この犬どもは獰猛 どうもう で知られる猛犬でありながら、谷窪 たにくぼ と呼ば
れている深い窪地の入口で鼻を鳴らして群がり、あるいは浮き足立ち、あるいは闘いに身
がまえて、月明かりの狭い谷間をのぞきこむばかりであった。
一同は馬を止めた。このときにはおそらく屋敷を出たときの酒気もさめていたのであろ
うか、いずれもそれから先へと馬を進める勇気を失っていたが、その中の三人、もっとも
大胆な者たちが、まだ痛飲の酒気さめきらぬ者たちであろう、馬を進めて谷窪に下りたっ
た。さて、窪地の底は広くひらけて、ふたつの岩がそば立っていた。この岩は今も見られ
るとおり、古き昔、今は忘れられたる名もなき人たちによって立てられたものという。月
は皎々 こうこう と平地に照りわたり、その中ほどに哀れな乙女がうち倒れ、恐怖と疲労に息絶え
ていた。だが見よ、これら鬼のごとき酔漢どもの頭髪を慄然 りつぜん と逆立 さかだ たしめたのは、
乙女の死体でもなければ、その近くに横たわるヒューゴー・バスカーヴィルの屍 しかばね でもな
い。
おお! ヒューゴーの屍を四ッ足でふんまえ、その喉 のど もと深く食いこんだ、魔物のご
とき巨大な黒い獣……形は猟犬に似ても、いかなる犬よりも巨大な魔獣の形相 ぎょうそう であっ
た。しかも、魔獣がヒューゴーの喉を食いちぎり、その口もとに鮮血をしたたらせながら
月光に輝く両眼をカッと見開き、三人を見すえたときには、さすがの猛者 もさ も恐怖にわな
なき、命からがら悲鳴を沼地に響かせて逃げ去ったのである。言い伝えによれば、中のひ
とりはその夜のうちに、まのあたりに見た恐怖に悶死 もんし し、あとのふたりも余生落魄 らくはく
の生涯を送ったという。