道は四マイル、沼地に沿って心地よい散歩をつづけて、行き着いたグリムペンは古び
た、ちっぽけな部落だった。旅篭屋 はたごや を兼ねた居酒屋と、医師モーティマー氏の家とが、
ここでは目立って大きな存在であった。郵便局に行ってみると、ひなびた食料品店をも営
む局長は、電報のことをはっきりと覚えていた。
「それはもう、お指図どおりにバリモアさんの手に配達しましたですが」
「配達に行ったのは?」
「この子です。ジェイムズよ、先週あの電報はちゃんとお屋敷のバリモアさんにお届けし
たのう、お前」
「うん、ちゃんと届けた」
「じかに手渡した?」私が訊いた。
「あのう。そのときバリモアさんが屋根裏に上がってたもんだから、じかに手渡さなかっ
たんです。だけど、おかみさんに渡したら、すぐに渡しとくからっていわれました」
「バリモアさんがいるのを見た?」
「見ないです。だって屋根裏にいたんですもん」
「見たわけじゃないのに、どうして屋根裏にいるってわかった?」
「そりゃ旦那、奥さんがそう言われたんだから間違いないでしょうが」局長はむっつりし
て言った。「バリモアさんが電報を受け取らなかったんですかね。何か間違いでもあった
んなら、バリモアさんに言ってもらいたいですね」
どうやらこれ以上の詮議だては遠慮したほうがよさそうだった。せっかくホームズが一
計を案じたのに、結局バリモアがずっとロンドンにいたのではない、という確証はつかめ
なかったわけである。かりに、彼がロンドンにいたのだとしたらどうだろう……サー・
チャールズの死を見届けたその男が、アメリカ帰りの相続人をロンドンでつけねらってい
たのだとしたら。するとどうなる。誰かに頼まれてやっているのか。それとも腹に一物
あって、ひとりで何かを企 たくら んでいるのか。だいいち、何を目当てにバスカーヴィル一族
をつけねらっているのか。
私はロンドン・タイムズの社説から一語ずつ切り取って作成した例の奇妙な脅迫状のこ
とを思いうかべた。はたしてあれはこの男の仕業 しわざ だったのか。それともその男の策略を
やっきになって阻止しようとする誰かの企みでもあろうか。その動機といって思いつくの
は、サー・ヘンリーが前にいったように、もしここの家族が恐れをなして近づかぬとなれ
ば、バリモア夫妻にとっては至極のんびりとした永住の地が確保される、ということだけ
だ。
しかし、こんな生易 なまやさ しい説明では、この若い准男爵のまわりにはりめぐらされた、眼
に見えぬ奸計 かんけい の網の目を説明し尽くすことはできないだろう。あの目の覚めるような
華々しい調査をやってきたホームズさえもが、これほど複雑なものはかつてなかったと
いったくらいなのだ。灰色のさびしい道をひとりとぼとぼ歩きながら、わが友ホームズが
数々の仕事から解放されて、一刻も早くここへやって来て、私の肩にどっかとのしかかっ
た重責の荷をとり除いてはくれないかと、心に祈ったのである。
突然うしろから自分の名前を呼ばれ、駈けてくる足音にいろいろの思いは断ち切られて
しまった。モーティマー氏かとふり返ると、追って来たのは見も知らぬ男だったのには驚
いた。ほっそりとした小男で、乙 おつ にすました顔はきれいに剃り上げてあり、亜麻色の髪
の毛の、あごのうすい男で、年かっこうは三十代である。ねずみの服を着こんで、ムギワ
ラ帽をかぶっている。植物採集のブリキのドーランを肩にかけ、手には緑色の捕虫網を
もっていた。