「その、はなはだぶしつけなことかと存じますが、あなたはワトスン博士でいらっしゃい
ませんか」歩み寄りながら、あえぎあえぎ言った。「ここの沼地の者は、何ですか打ちと
けた人たちでして、正式の紹介もなしに、人に話しかけるんですよ。たぶん親友のモー
ティマー君からお聞きおよびのこととは思いますが、私、メリピット荘のステイプルトン
です」
「もうその箱と網がお名前を言ってるようなもんですよ。ステイプルトンさんは博物学者
だと聞いておりましたので。でも、どうして僕だとおわかりでした?」
「さっきモーティマー君をたずねますと、診察室の窓からあなたのお通りになるのが見え
たんで、彼が教えてくれたんです。ちょうど道が同じだったもんですから、追いついて自
己紹介しようと思いましてね。サー・ヘンリーにはご遠路のところ、まったくお変わりな
い様子で」
「ええ、おかげでまったく元気です」
「サー・チャールズのご最期がああいう気の毒なものでしたから、今度の准男爵がここに
来るのをいやがられるんじゃないかと、みんな心配してたんですよ。ことに、こんなとこ
ろにやってきて身を埋めるなんていうのは、お金のある人にはむごいように思うんです
が。しかし一面、土地の者にしてみれば、この上もなく大切なことなんでしょう。で、
サー・ヘンリーは今度の事件についての迷信を恐れられてるわけじゃないんでしょうね」
「ええ、そんなことはないだろうと思いますが」
「もちろん、あなたはバスカーヴィル家に憑 つ きものの地獄犬の伝説をご存じなんでしょ
う?」
「ええ、聞きましたよ」
「ここいらの百姓たちの迷信深さといったら、そりゃたいへんなもんですよ。聞いてみよ
うものなら、沼地でそんなものを見たと断言するのが何人もいるありさまですからねえ」
微笑を浮かべて話してはいるものの、当人こそ大まじめだというのが、その目つきで知
れるのである。
「あの話がサー・チャールズの心を捕えて離さなかったんですよ。結局それがもとで、気
の毒に命とりになったのは、もう疑う余地がありませんね」
「どういうふうに?」
「つまり神経がたかぶってしまって、犬さえ見れば、どんなのでも心臓病に決定的打撃を
与えるようになってたんですね。事実、あの晩、《いちい》並木路でそうしたものを何か
見たんじゃないかと思うんですがね。僕自身、あの老人が好きで、しかも心臓が弱ってる
ことも知ってましたから、何か悪いことでも起こるんじゃないかと、じつは案じてたんで
すよ」
「どうして身体の具合いまで知ってたんですか」
「モーティマー君が知らせてくれたんですよ」
「じゃあなたは、彼が《ある》犬に追われて、恐ろしさのあまり死んだとお考えになるわ
けですか」
「もっといい考えがありましょうか」
「いや、僕はまだ結論に達していないんですよ」
「シャーロック・ホームズさんは?」これを聞いて私は、はっと息をのんだ。が、平然と
した顔つきの相手の目を見て、私は相手が故意に私を驚かしたのではないことがわかっ
た。
「ワトスン先生、空とぼけなすっても駄目ですよ」ときた。「あなたがお書きになった探
偵談は、ちゃんとここにも来てますよ。さっきモーティマー君からあなたのお名前をきい
たときも、あなたの正体がご本人だと分りました。あなたがここへいらしたとなれば、
シャーロック・ホームズさんもこの事件に手をつけておられることになるし、そうすれば
当然、あの方がどんな見解をもっていらっしゃるか知りたくなるもんですよ」