サー・ヘンリーは、先代サー・チャールズの時代に種々の設計を依頼した建築業者やロ
ンドンから来た請負業者と交渉をしていたので、この屋敷も間もなく面目を一新するだろ
うと思う。プリマス市から室内装飾師や家具屋も来ている。サー・ヘンリーには大きな計
画があって、家系の威厳を回復するためなら、どんな費用も労力も惜しまない気持でいる
ことは明らかだ。家が修繕され、新しい調度も備えられてみると、後は妻を迎えれば、彼
に必要なものはみな揃うことになる。
二人だけの話だが、あの女性がその気になれば、なに不足なくなるきざしは、しごく
はっきりしているのだ。サー・ヘンリーが、あのお隣りの美しいミス・ステイプルトンへ
の惚れこみようといったら、今まで女に夢中になったどの男にも見たこともないくらいだ
からね。だが実際のところ、この恋愛は見かけに反して、どうも期待どおりにはうまく
行っていない。たとえば今日だが、まったく意外な波紋にかき乱され、彼はえらく当惑懊
悩 おうのう してしまったのだ。
あのバリモアのことでかわした要談のあと、サー・ヘンリーは帽子を被 かぶ って、出かけ
る用意をしていた。僕も当然のこととして同じく用意した。
「おや、ワトスン先生。あなたもいらっしゃるんですか」けげんそうに僕を見ながら、彼
がきいた。
「あなたが沼地のほうへいらっしゃるのでしたらね」
「ええ、そこへ行くんですが」
「私の受けた訓令をご存じでしょう。立ち入ったことをするのは恐縮ですが、ホームズが
あれほど、しきりに、あなたの側を離れちゃいけない、とくにあなたひとりで沼地に出さ
しちゃいけない、と言ったのを聞いていらっしゃいますね」
サー・ヘンリーは僕の肩に手を置いて、微笑を浮かべた。
「ワトスン先生。ホームズさんがどんな知恵を持っていらしても、僕が沼地へ来てからど
んなことが起こったか、予見できるものじゃありませんでしたね。解っていただけます
か。あなたはまさか人の興を殺 そ ぐようなことはいたしますまい。私ひとりで出かけます」
僕はえらく厄介な立場に立ってしまった。どう言っていいのか、どうすればいいのか、
途方にくれたが、心の決まらぬうちに、彼はステッキを取って出かけてしまった。しか
し、よくよく考えて見れば、どんな口実があるにせよ、サー・ヘンリーを僕の目の届かぬ
ところに置くのは良心が許さぬ。もし君の訓令を無視したために何か不幸が起きたら、ど
んな気持で報告しなければならないかと思ってみた。正直言って、考えただけで頬に血が
のぼった。今から行けば、追いつくのにおそくはあるまい。僕はただちにメリピット荘へ
向って出発した。
僕はできる限り足を早めて駈けて行ったが、サー・ヘンリーの姿は見かけなかった。と
うとう沼地の小路が分岐しているところまで来た。そこで道を誤ったのではないかと思っ
て、あたりが一望のもとに収められる丘……今は切られて肌黒い石山になっている同じ丘
の上に登った。そこからすぐに彼を見てとった。彼は四分の一マイルばかり先の沼地の小
道を歩いていた。その側に女性がいたが、どうやらミス・ステイプルトンに間違いあるま
い。ふたりの間にはすでに了解がついていて、前もって約束して会ったことは明らかであ
る。ふたりはゆっくりと歩いていて、何事か熱心に話し合っているふうであった。彼女の
話しぶりには非常に真剣味があるようで、両手を早く小きざみに振っていた。一方サー・
ヘンリーは熱心に聞き入り、一、二度頭を振って、強く異議を唱えていた。
僕は岩の間に立って見ていたのだが、次にはどうすべきか、ひどく迷った。後を追いか
けて、あの親密な語らいを破るのは無法であろう。かと言って、彼の姿を一瞬たりとも見
失ってはならないのは、明らかに僕の務めでもあるわけだ。友人に対してスパイ行為をす
るのはいかにも忌々 いまいま しかった。しかし丘の上から見張っているほかに何の方策も立たな
い。せめて後で自分のしたことを告白して、身のあかしを立てるより仕方がない。まった
く、彼の身に何か危険がふりかかっても、僕は少し離れているので役に立つとは思わない
が、その立場のむずかしさ、取るべき手段のほかにないことは君も同意してくれると思
う。