ふたりは小道に立ちどまって、話に夢中になっていたが、ふとそのとき、ふたりを見て
いるのは僕だけではないのに気がついた。何か青いものがひらひら目についたが、よく見
ると崩れた地面の間に動いている男が棒につけているものだと分かった。捕虫網を持った
兄ステイプルトンなのだ。彼は僕よりもずっとふたりのほうへ近い。それにそのほうへ進
んで行くようだ。
このとき、突然サー・ヘンリーは女を自分のほうへ引き寄せて、腕をまわした。だが彼
女は顔をそらして引き放そうとしているようだった。彼が顔を彼女のほうへ屈めると、彼
女は片手をあげて拒んだ。次の瞬間ふたりはぱっと離れて、急いで向きをかえるのが見え
た。ステイプルトンが邪魔に入ったのだ。彼はあの馬鹿げた捕虫網を後ろにぶら下げて、
ふたりのほうへがむしゃらに走り寄った。手真似で話す身ぶりよろしく、ふたりを目の前
に置いて、ほとんど躍り上がらんばかりだった。僕はその場面が何を意味するのか想像も
できなかったけれど、ステイプルトンがサー・ヘンリーを罵 ののし っているらしかった。
サー・ヘンリーははじめ弁解をしていたが、それでも相手がふたりの気持を受けつけな
かったので、彼もまたひどく立腹したようであった。彼女は横につんとすまして、無言で
立っていた。
とうとうステイプルトンは踵 きびす をかえし、妹を横柄な態度でさし招いた。彼女はサー・
ヘンリーのほうへはちょっとためらうような視線を投げたが、そのまま兄について立ち
去って行った。あのステイプルトンの怒りようから察すれば、妹にもだいぶ不快の念を抱
いているようである。
サー・ヘンリーはしばらく立ったままふたりの後を見送っていたが、やがてもと来た道
をゆっくりと引き返した。頭を垂れ、意気消沈 いきしょうちん の態 てい である。
こんな場面を見ても、どういうことだか想像もつかないのだが、サー・ヘンリーの目を
盗んであんな親密な出会いを見たことには、深く恥じ入っていた。それで僕は丘を降り
て、麓 ふもと のところで彼に会った。彼の顔は憤怒のあまり赤くなり、眉には皺 しわ を寄せて、
どうしてよいか考えもつかぬ人のように思われた。
「おや、ワトスン先生。どこからいらっしゃったのです? まさか僕のあとをつけて来た
というのじゃないでしょうね」
僕はいっさいを打ち明けた。自分だけ残っているわけにはいかないと分かったこと、あ
とをつけて、一切を目撃してしまったこと。一瞬、彼の眼が燃えたが、僕の率直さが彼の
悪感情を殺 そ いだ形となり、ついにはやや口惜 くちお しげに笑い出した。
「あの草原のまんなかなら、あなたでも内証事をしても安全だと思われたでしょう。とこ
ろがいまいましい。ここの人たちは皆が皆、よってたかって私の求婚するところを、見に
出てきたみたいだ。それもあんな、情ない口説きぶりをね。ところであなたはどこに腰を
すえて見ておられたのです?」
「あの丘の上にいました」
「あのうしろの席ですか。ステイプルトンは前の席にいたのです。あの男が私たちのほう
へやって来るのが見えましたか」
「ええ、見えましたよ」
「あの男が、あんな気違いだなぞとお思いでしたか」
「そんな印象は一度も」
「たぶんそうでしょうね。今までは正気な人だと思っていたのです。でも彼か私か、どち
らかが精神病院ゆきだと思って下さっていいのです。いったい、私がどうしたというんで
しょう。あなたは数週間も私と一緒に暮らして来られた。どうぞ、正直におっしゃって下
さい。私が、愛している女性の良い夫となる資格に欠けているものがありますか、どう
か」