「ねえ、バリモア、よくお聞き。僕はこの問題に興味はないんだよ。あるのは君の旦那の
ことだ。ただあの方を助けるために来ただけさ。いやなことだというのはどんなことか、
正直に僕に話してごらん」
バリモアはちょっとためらった。思いあまって言ったことを後悔しているようでもあ
り、あるいは自分の感情が言葉にうまく出て来ないような素振りでもある。
「こんなことになっているんですよ」
とうとう叫ぶように言って、沼地に面している、雨に打たれた窓のほうへ手をふった。
「どこかで陰謀をやっているのです。悪事の企みがあるのです。誓って申し上げます。ヘ
ンリーさまは早くロンドンへお帰りになっていただくほうが何よりなのです」
「だが何がそんなに怖いのかね」
「チャールズさまのお亡くなりになったことをお考えになって下さい。検死官はあんなこ
とを話しましたが、あれは不吉なことです。夜中に沼地で妙な唸 うな り声があがっていま
す。日没後は、お金をやるからと言っても、誰も沼地をわたりたがらないでしょう。それ
に向こうには、見知らぬ男がひそんでいて、見張りながら待ちかまえているのです。いっ
たい何を待っているのでしょう。どういうつもりでしょうか。でも何だかバスカーヴィル
家の人々によからぬことが起こりそうです。この上は新しい召使いにお屋敷の仕事をひき
つぐようにしていただければ、その日にはこんなこともなくなって、結構なことなので
す」
「でも、この不思議な男のことでわかっていることでもあるのかい。セルデンは何と言っ
たかね? どこにかくれて、どんなことをしているのか、セルデンにわかっていたのか
い?」
「セルデンは一、二度見かけました。腹黒い奴で、正体を明かしません。最初は巡査かと
思ったそうですが、どうやら何か企んでいるらしいのがわかりました。見たところは紳士
のようでございますが、何をしているのか、さっぱりわからないと言っておりました」
「で、どこにいると言っていたかね」
「丘の中腹の古い家……古代人の住んでいたとかいう、石室 いわむろ にいるそうです」
「食物はどうするのだ」
「少年がひとり手助けしているようで、それが入用なものを運んでいると申しました。た
ぶん、クーム・トレイシーへ入用なものを取りに行くのでございましょう」
「ありがとう、バリモア。このことはいずれまた相談しよう」
バリモアが行ってしまうと、僕は暗い窓辺に寄って、曇った窓ガラスごしに、飛び去る
雲を、風に吹き払われて、烈しく揺れ動く樹の影を見た。
室内にいても物狂わしい夜だ。沼地の石室ではいったいどんなだろう。こんな時刻に、
あんな場所に身をひそめているとは、その男もどういう恨みを抱いているのか。また、ど
んな深い、一心な目的で、そんな試練を求めて堪えているのか。されば、沼池のあの石室
にこそ、僕をかくも悩ます問題の、そもそもの中心があるように思われる。僕は誓う。あ
の男に先立って、僕は明日とは言わず、この神秘の核心に到り着くつもりだ。