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クライマーズ・ハイ06

时间: 2018-10-19    进入日语论坛
核心提示:     6 横腹に「キタカン」と大書きされた新聞輸送のトラックが、次々と猛スピードで社を飛び出していく。 降版──完成
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 横腹に「キタカン」と大書きされた新聞輸送のトラックが、次々と猛スピードで社を飛び出していく。
 降版──完成した紙面を印刷工程に回した後も、墜落地点の情報は群馬と長野の間を目まぐるしく行き来していた。上野村現本に張りついている記者によれば、双方の県警をはじめ、自衛隊や地元消防団など合わせて千人以上が寝ずの捜索を続けているという話だ。しかし、現場を指し示す確たる情報がないうえ、県境の山岳地帯の地形はひどく入り組んでいる。上野村は一昔前まで「関東のチベット」と呼ばれていたほどの辺境の地でもある。明るくならなければ本当のところはわからない、というのが実情のようだった。
 ぶどう峠には三百人からの報道陣が車で押しかけ、時ならぬ大渋滞を引き起こしているという。テレビは延々、五百二十四人の乗客乗員名簿を流し続けていた。
 午前三時。編集局の大部屋は老人病棟のように静まり返っていた。
 三分の一ほどの局員が帰らずに留まっているが、どの顔も疲労の色が濃く、自分の机やソファでぐったりとしていた。あと一時間もすれば白んでくる。戦闘再開まで体も喉も少し休めておこうという空気が広いフロアを支配していた。
 悠木は椅子の背もたれに体を預けていた。
 長野側であって欲しいという思いは変わっていなかった。しかし、無理にでも群馬側だと考えていなければ、もしそうだった場合に気持ちの立て直しが難しくなることはわかっていた。夜が明け、現場地点が確認されたら、上野村入りしている記者に入山を命じねばならない。カメラマンを含む八人のうち、今現在、四人は上野村役場の現本にいる。別の二人はぶどう峠。佐山と神沢の二人は行方が知れなかった。依然ポケベルの応答はない。おそらくは彼らもぶどう峠の渋滞に巻き込まれているのだろう。
 佐山に対する怒りは鎮まっていた。登山ガイドをつけてやる。もし悠木が佐山の立場だったとしたら、やはり、ふざけるなと突っぱねたに違いなかった。
 不安は消えていなかった。制御不能。それは微かな恐れを伴って時間の経過とともに増殖を続けていた。
 戦闘再開の狼煙《のろし》はテレビが上げた。
 午前五時を過ぎ、各局とも一斉にヘリコプターからの現場映像を流し始めた。驚きの声が重なった。ラウンド間の休憩を終えたボクサーのように、局員たちは勢いよく立ち上がってテレビに群がった。
 想像は見事に裏切られた。
 墜落現場にジャンボ機の姿はなかった。美しい緑の山だ。その山肌に、くっきりと墜落の痕跡が刻まれている。「くの字型」「V字型」「ブーメラン型」。撮影の角度によって次々と形を変える。白煙が上がっている。主翼の残骸が見えた。「JAL」の文字が読み取れる。だが、それだけだ。機体と呼べるものは他に何もない。胴体は一体どこにあるのか。谷にでも落ちてしまったのだろうか。山肌がキラキラと光っている。交通事故現場に散乱したガラス片がヘッドライトを浴びた時のように──。
 悠木はぎょっとしてデスクに目を落とした。刷り上がったばかりの朝刊がある。「同型機」とクレジットをつけてジャンボ機の資料写真を載せた。
 背筋に這い上がるものを感じた。
 粉々になったということだ。朝日を照り返してキラキラ光っている、あの輝きこそが、半日前まで五百人もの人間を乗せて悠然と空を飛んでいた巨大旅客機なのだ。
 人もだ。
 乗っていた人間も粉々になった。
 胸に、怒りを伴った熱い波が押し寄せた。なぜ落ちたのか。悠木はこのとき初めて事故原因に思考が行った。
 ヘリに同乗しているテレビ記者が轟音に負けじと絶叫した。
≪群馬です! 墜落地点は明らかに群馬県内です!≫
「ピーコ」も叫んだ。
≪墜落現場は群馬県多野郡上野村山中!≫
 どよめきは起こらなかった。
 この先の長い戦いの決意を固めるように、みな無言で映像に見入っていた。この山で五百二十四人の人間が死んだ。この輝く山で。
 静かなフロアに小さな声の雨粒が落ち、次第に雨足が強まり、やがては土砂降りの声となっていつも通りの大部屋へと戻っていった。
 墜落現場が群馬だと知り、一旦帰宅していた粕谷局長以下幹部三人組も血相を変えて出社してきた。
 山の名前はほどなく判明した。
 御巣鷹山──。
 悠木は、その雄々しく気高い山の名に心を揺さぶられた。
 ゆうべから一度も浮上したことのない山だった。なのに、そうなのだと言われてみれば、名前が挙がったどの山よりも、歴史的な事故現場として名を刻むに相応しい名前の山だった。
 不思議でならなかった。何千もの目が現場を探していた。何万何十万もの目が地図に注がれていた。なぜ御巣鷹山だけが自らの存在を隠しおおせたのか。
 死人《しびと》の弔いしてたから。
 幼い頃、酒に酔った母の懐で聞かされた民話にそんな一節があった。
 悠木は目を閉じた。
 忸怩《じくじ》たる思いが胸を覆い尽くしていた。逃げることだけを考えていた。長野側であれば五百人死のうが千人死のうがどうでもよかった。
 目を開き、テレビ画面の御巣鷹山を見つめた。
 山も深く傷ついていた。引き受けたのだ。他のどの山でもなく、世界最大の事故を、あの御巣鷹山が引き受けたのだ。
 眠りから覚めたような思いだった。
 悠木は叫んだ。
「地図持ってこい!」
 十人ほどで入山コースを検討した。
 ぶどう峠は方向違いだった。その手前、浜平鉱泉の入口から神流《かんな》川沿いに林道が切れるまで進み、そこから小さな沢を登る──ベストかどうかはわからないが、地図上の御巣鷹山へ向かうにはそれが最短だという結論になった。うまくすれば現場まで三〜四時間。そんな数字が弾き出された。
 悠木は記者とカメラマンのポケベルを呼び出した。最初に応答したのは県警サブキャップの川島だった。
「登ってくれ。現場に向かう消防団のケツについていけ。見当たらなかったら機動隊か自衛隊につけ」
 現場捜索の関係者は四千人以上に膨れ上がっているとの情報を得ていた。彼らを頼るしかなかった。見当違いの方向に登らない限り、単独行の危険は避けられるはずだ。
「アクシデントがあったら共同通信の記者をつかまえろ。十秒だけ無線を貸してくれ。そう拝み倒して前橋支局に伝言を頼め」
〈わかりました〉
 川島の声は張り詰めていた。ひどく気が弱い。そんな噂を耳にしていた。
 悠木は声を落とした。
「佐山はどうした? 現本で見かけたか」
〈ええ。長野の南相木から登ると言って出て行きました。自衛隊の人間に聞いたら、そっちからのほうが近いと言ってたそうです〉
 その情報は怪しい。思ったが手の打ちようがなかった。ぶどう峠を越えてしまったのであればもうポケベルの電波は届かない。
「じゃあ出発してくれ。決して無理をするな。自分には難しいと思ったら即刻下山しろ」
 午前六時。幹部会議が始まった。
 紙面建ての打ち合わせを行った。一面と社会面はもとより、写真特集も含めて合計十二面を使って事故関連記事を全面展開することになった。運輸省や日航、さらには東京、大阪の遺族取材などの大半を共同電に頼るが、県内での事象はすべて自社原稿で賄う。とりわけ、「現場雑観」は必ず本紙記者の署名記事で。そう申し合わせた。
 会議の後は取材手配に忙殺された。
 後ろから肩を叩かれたのは午前八時半だった。広告の宮田だった。山支度を整え、休みを取ってずっと自宅で待機していたという。悠木が平謝りすると、宮田は、そんなことより、と遮って心配そうな顔を寄せた。
「安西さんが病院に運ばれたらしいんです」
 墜ちた──。
 悠木は身震いした。その墜落の瞬間を見たような錯覚に襲われたのだ。
 生唾を飲み下し、言った。
「衝立か」
「えっ……?」
 宮田は二人が衝立岩に行く予定だったことを知らなかった。朝まで待機していたが悠木から連絡がないので、どうしたものかと思って安西の家に電話を入れたのだという。
「息子さんが出ました。要領を得なかったんですが、とにかく安西さんが病院に運ばれて、奥さんもそっちに行っちゃってるらしいんです」
 安西の長男──淳と同い年の燐太郎だ。中一だが、小学校の四、五年生くらいにしか見えない。ひどく内気で、何を聞いても満足な答えが返ってこないのは宮田の話の通りだ。が、安西夫婦によれば、それでもまだ悠木にはよく懐いているほうなのだという。
「わかった。俺が聞き出しておく」
 すぐに安西の自宅に電話を入れたが誰も出なかった。燐太郎はどこに行ったのか。学校か。病院か。そもそも、安西はなぜ病院に担ぎ込まれたのか。
 一人で衝立岩をやったのか。そして──いや、まさか、あの安西に限って。
 連鎖的に気掛かりが飛び火した。
 御巣鷹山はどうか。危険はないのか。映像では一見なだらかに見えるが、急峻なところも散見する。想像以上に手強い山。そんな気がしてならない。記者とカメラマンは果たして現場に辿り着けるのか。
 その時だった。「ピーコ」が鳴った。
≪現場で生存者四人を発見!≫
 脳が揺さぶられた。
 生きていた。少女が、母子が、若い女性が──。
 入社以来、これだけ局内が喜びに沸き返った瞬間を悠木は知らない。
 奇跡。誰もがそう思った。
「フジが映してるぞ!」
 救出された少女だった。自衛隊員がその華奢《きやしや》な体を抱え、上空のヘリに吊り上げていく。
 大歓声。大拍手。指笛まで鳴った。こんなことでもなけりゃあやってられねえ。こういうことがあるからやめられねえ。笑顔が重なった。幾重にも。
 四人生存──紙面構成は大幅に変更になった。悠木は病院担当の記者四人を決め、すぐさま手配した。
 現場に向かった記者たちはどうしたか。午後二時が過ぎ、三時を回って、悠木はいよいよ落ちつかなくなった。テレビ画面に目をやる。見知った顔が墜落現場にあった。県警の捜査一課長、調査官、機動隊長……。自衛隊員や消防団員の法被《はつぴ》も目立つ。記者とおぼしき姿もあちこちに見える。だが、いない。北関の記者とカメラマンの顔を悠木はまだ一人も目にしていなかった。
 最終的に十二人の記者とカメラマンを御巣鷹山に投入していた。まだ誰も現場に到着していないということか。署名記事はどうなる。既に共同通信からは現場雑観が送信されてきていた。このままでいけば、世界最大の航空機事故を目の前にして、地元紙が現場雑観を共同の記者に譲ることになる。
 屈辱だ。共同通信丸抱えの新聞。それはもはや地元紙とは呼べない。
 現場雑観は他のストレートニュースとは違う。「記者の目」であり「北関の目」だ。現場の何を見て、何を感じ、何を書くか。群馬で生まれ育った人間が、群馬で起こった事件事故の現場を見つめるからこそ滲み出てくる一行がある。プライド。そう言い換えてもいい。北関が北関であるために、現場雑観はどうあっても北関の記者が書かねばならない。
 四時を過ぎると、膨大な数の原稿が悠木のデスクに山積みになった。
≪五十二人の遺体を確認≫≪三浦半島沖で尾翼の一部回収≫≪県も現地対策本部設置≫≪海外首脳から次々と見舞い電≫≪ショックの農大二高ナイン≫≪キャンセル待ち搭乗がアダ≫≪補償金も空前の規模に≫≪航空機専門家紙上座談会≫≪積荷の中に放射性物質≫≪ボーイング社調査員来日へ≫≪高木社長の引責示唆≫≪崩れた安全神話≫
 読んでも読んでも次々と原稿は運ばれてきた。今日一日で、共同電を受ける機報部の赤峰の顔を何度見たことだろう。事故の大きさを、その波紋の大きさを原稿用紙の厚みが如実に物語っていた。僅かな作業の合間に、悠木はテレビの現場映像に記者の姿を探し、そうしながら、指は電話のプッシュボタンを押し続けた。安西宅。そっちの心配も時間経過とともに膨れ上がっていた。
 先に決着をみたのは電話のほうだった。
〈安西です……〉
 燐太郎のか細い声が耳に届いた。
「悠木だけど。わかるね?」
〈あ、はい……〉
「お父さん、どうした?」
〈病院に入院しました〉
「どうして?」
〈よくわかりません……〉
「病気? 怪我?」
〈倒れたって……〉
 墜ちたのではなかった。だが、ホッとしていいのか、そうでないのか判断がつかない。
 悠木は受話器を握り直した。
「どこで倒れた? 原因は?」
〈わかりません……〉
 燐太郎の声が掠《かす》れた。べそをかいているのかもしれなかった。大きな瞳が目に浮かんだ。安西によく似た真ん丸の瞳だ。
 精一杯優しく言った。
「病院、行ってみたかい?」
〈はい。いま父さんの着替えを取りに……〉
「そうか。邪魔して悪かったね。それで、お父さん、どんな様子?」
〈………〉
「聞こえるかい?」
〈目を開けたまま、でも眠ってるんだって……〉
 悠木は慄然とした。
 目を開けたまま眠っている。医者の言葉だろうか。嫌な表現だと思った。これ以上、燐太郎に喋らせるのは酷だと思い、病院の名前を聞いて電話を切った。
 行ってやりたかった。だが、数分の電話の間にも、目に痛いほどの数の原稿が目の前に突き出されていた。
 目を開けたまま眠っているとはどういうことか。
 胸騒ぎがしてならない。県央病院。顔を見るだけなら往復一時間で済む。その間、田沢に頼めば──。
 その田沢も原稿に赤ペンを入れていた。
 動きが妙だった。
 田沢の視線は手元の原稿とテレビ画面とを行ったり来たりしている。すぐにピンときた。墜落現場の映像を見ながら原稿に手を入れているのだ。悠木は首を伸ばして田沢の手元を覗き込んだ。思った通りだった。共同の記者が書いた現場雑観だ。その原稿にテレビ映像から得た情報を加筆して、「北関の雑観」に仕立てようとしている。
 頭に血が上った。悠木は田沢の原稿をむしり取った。辺りの原稿まで飛び散って床に散乱した。
 田沢が目を剥いた。
「何しやがる!」
「てめえこそ何してんだ! 誰に言われた!」
「部長だよ! 文句があるならそっちに言え!」
 奴か……。
 等々力社会部長の差し金だった。誰より「大久保連赤」を鼻に掛けてきた。いまもって当時の記事の切り抜きを手帳の間に挟んでいる。そんな男だから今回はすっかり音なしの構えだったが、陰に回ってこんな指示を出していたとは──。
 悠木は靴音を立てて社会部長席に向かった。
 等々力が顔を上げた。金縁眼鏡。濃いブラウンのレンズ。その奥に覗く鋭い眼光。面構えだけは、いまだに「事件屋」だ。
「部長」
「何だ?」
「ああいうのはよしましょう」
「何のことだ?」
「雑観ですよ」
「仕方あるまい。ウチの連中が全滅なんだからな」
「まだわからんでしょう」
 悠木が声に凄味を利かすと、それ以上に険を含んだ声が返ってきた。
「もう間に合わんさ。お前の指示が悪かったからじゃないのか」
「そういう話をしてるんじゃ──」
 言い掛けた時、背後で声が上がった。
「佐山だ!」
 悠木は撃たれたように振り向いた。
 現場のテレビ映像だ。いた。確かに佐山だ。後ろに神沢もいる。二人とも服がボロボロだ。雨に濡れて髪が額に張りついている。疲れ果てた様子だ。だが、いる。北関の記者が御巣鷹山の現場に立っている。
 悠木は壁の時計を見た。五時十五分。今から戻れば夜の山を下ることになる。危険だ。山の知識のない人間には危険すぎる。だが──。
 佐山なら帰ってくる。
 悠木はそう思った。あの佐山が現場雑観を諦めるはずがなかった。機動隊か、自衛隊か、下山する人間に食らいついて必ず戻ってくる。締切まで七時間。いや、昨日同様、締切は一時間までなら延ばせる。ならば、ギリギリで原稿をぶち込めるかもしれない。
 悠木は等々力に顔を戻した。
「雑観は佐山が出稿します」
「間に合えばな」
 等々力の目が微かに笑ったように見えた。
 悠木は自分のデスクに戻った。怒りはいったん飲み込んだ。そうしなければ乗り切れる務めではなかった。
 時間は矢のように過ぎた。午後九時──十時──十一時──。
 締切まであと二時間。佐山からの連絡はなかった。
 待つしかなかった。社会面の大組みには、田沢が手を入れた共同の現場雑観が組まれていた。佐山から原稿が届いたらすぐに差し替える。その手筈は整えてあるが、電話は鳴らない。じりじりとした時間だけが悠木の傍らにあった。
 不安も募っていた。夜になって悪い情報が続々と入ってきていた。
 やはり御巣鷹山は手強い山だった。墜落現場に辿り着けた記者は相当に運が良かったのだとわかった。現場を踏んだ記者の何倍もの数の記者が山中で道に迷い、崖に行く手を阻まれ、疲労|困憊《こんぱい》して敗退した。北関もそうだった。送り込んだ十二人のうち、現場に立てたのは佐山と神沢の二人だけだったのだ。
 まもなく日付が変わる。
 悠木は念じた。大丈夫だ。帰ってくる。締切が一時間延びることは佐山だって百も承知だ。計算ずくで歩いている。里に下り、どこかで電話を見つけ、必ず現場雑観を送稿してくる。
「そろそろ降ろすぞ」
 不意に、粕谷局長が声を上げた。最初その台詞は頭に入ってこなかった。降ろす。紙を降ろす。無論、降版のことだ。
 もう降版する……?
 馬鹿な! 悠木は椅子を弾いて立ち上がった。
 局員が雪崩を打つようにして部屋を出ていく。二階の制作局で紙面の最終チェックを行い、印刷工程に回すのだ。粕谷もドアに向かっていた。
 悠木は腹から叫んだ。
「待て! あと一時間あるだろうが!」
 粕谷が振り向いた。怪訝《けげん》そうな顔だ。
「今日は締切は延ばせんぞ」
「なぜです!」
「言ったろう、輪転機の調子が悪いんで、のろい旧型を使わなきゃならないんだ」
 悠木は耳を疑った。
 そんな話は聞いていなかった。
 いや待て……。まさか……。
 聞かされていなかった……?
 悠木はゆっくりと振り向いた。
 社会部長席。等々力は無表情であさってのほうを向いていた。
 間に合えばな──。
「大久保連赤」の亡霊を見た思いだった。おそらくそうだ。等々力は、世界最大の事故の現場雑観に後輩記者の署名を刻ませたくなかった。
 全身がわなないていた。男の嫉妬とは、こんなにも浅ましいものだったか。
 局員が捌《は》けた静寂の中、等々力が席を立った。ドアへ向かう。その背に向かって思いを投げつけた。
「あんた、それでも事件屋の端くれか」
 等々力の足は一瞬止まり、だが振り返ることなく部屋を出ていった。
 悠木は椅子に腰を落とした。佐山から電話がくる。この場から逃げ出すわけにはいかなかった。四十時間以上も寝ていない。だが、眠気は微塵もなかった。
 零時半だった。「日航全権デスク」の電話が鳴った。
〈現場雑観いきます! 御巣鷹山にて。佐山、神沢両記者──〉
 迫力に満ちた、見事な現場雑観だった。載らない。その一言が悠木には言えなかった。
 佐山が息せき切って読み上げる原稿を書き取りながら、悠木は、「日航世代」の記者たちの激しい突き上げを覚悟した。
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