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クライマーズ・ハイ19

时间: 2018-10-19    进入日语论坛
核心提示:     19 午後四時を回って大部屋は騒がしくなってきた。 悠木は自分のデスクで原稿を捌いていた。≪遺体収容二百七十一人
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 午後四時を回って大部屋は騒がしくなってきた。
 悠木は自分のデスクで原稿を捌いていた。
≪遺体収容二百七十一人≫≪百一人の身元を確認≫≪日米合同調査スタート≫≪安全抜きで合理化競争≫≪国家公安委・日航の刑事責任の有無究明に重点≫
 お前んちの母ちゃんさあ、パンパンなんだってなあ──。
 やはりそうだった。昔、公園で出会ったあの高校生が伊東だったということだ。
 昂りは収まりつつあった。
 伊東は言いすぎた。ことによると秘密を知られているのではないか。そう思っている間が最も恐ろしいものなのだ。知られているのだとはっきりわかってしまえば恐怖の大半は過ぎ去ったも同じだった。死んだ母親が淫売であろうが何であろうが、もはや四十になった男の弱みにも瑕疵《かし》にもなりようがなかった。
 悠木は次の原稿を手元に引き寄せた。赤ペンを入れる手は止まらなかった。
 心の奥底に葛籠《つづら》を抱いていた。その中には自分を破滅させる穢《けが》れが詰まっていると思い込んでいた。長い歳月、怯えて生きてきた。必死で葛籠を隠し、蓋を押さえつけてきた。だが、いざ開いてみれば、中に詰まっていたのは哀しみだけだった。戦後の混乱期に夫に蒸発され、乳飲み子に泣かれ、ずるい目をした男たちに縋《すが》り、そして、誰一人葬式に現れてもくれぬ生涯を過ごした憐れな女が横たわっていただけだった。
 悠木はペンを動かし続けた。
≪ボイスレコーダーの分析急ぐ≫≪苦闘示す航跡≫≪機長、必死のエンジン操作≫≪ジャンボ機総点検始まる≫
「悠木さん」
 声に顔を上げると、整理部の吉井が心配そうな顔で立っていた。今日の一面担当だ。
「そろそろ決めてくださいよ。日航と参拝、どっちがトップになるんです?」
 悠木は首を伸ばした。局長室のドアは閉じていた。部長以上の幹部が籠もって朝の続きをやっている。
「まだみたいだな」
「早く決めてもらわないと困るんですけど」
「こっちもだ。まあ、もう少し待ってろ」
「しかし、何で中曾根なんです? 日航でやればいいじゃないですか」
 悠木は眩しそうに吉井を見た。三十半ばのベテラン整理マンだが、童顔で小柄だからまだ若者といった風情だ。
「三日四日でトップを外したら、日本中の新聞社に笑われますよ」
「笑われる……?」
「そうですよ。少なくとも他社がトップを外すまでは意地でもウチは続けたほうがいいですよ。なんてったって地元なんだから」
 微かに胸が騒ぐのを感じた。
「悠木さんから上に言ってくださいよ。全権デスクでしょ」
「名前だけだ」
 悠木は自分の発した言葉に傷ついた。
 話に乗れない自分がもどかしかった。かといって、胸を張って言える言葉は心のどこからも湧き上がってきそうになかった。
 こうなりゃ二種類作っておくしかねえや。吉井はブツブツ呟きながら戻っていった。
 悠木は力のない息を吐き、壁の時計に目をやった。間もなく五時だ。サブキャップの川島はまだ連載の原稿を寄越していなかった。
 戻し掛けた目が隣のデスクで止まった。
 人の足を見たからだ。胴体と繋がっていない足だった。「フォーカス」か「フライデー」の写真に違いなかった。社会部デスクの田沢が雑誌を捲っている。御巣鷹山の特集だ。田沢が手を止める都度、無惨な死体が目に飛び込んでくる。
「今日発売のか?」
 悠木が声を掛けると、田沢は雑誌を突き出した。
「参考にしろ」
「参考……?」
 田沢は写真を指で弾いた。
「こいつがズバリ日航機事故ってことだ。新聞じゃ太刀打ちできねえ」
「どうしてだ?」
 田沢は、ハッ! と一つ笑った。
「わからねえのか? みんなそうだ。五百二十人死んだって聞いた時から死体を見たがってたんだ。新聞が悲惨だ悲惨だと馬に食わせるほど書いたって、このたった一枚の写真にはかなわないだろうが」
 どこまでが本気かわからなかった。日航デスクに指名されず、腹いせで言っているのか。
「泣かせもワンパターンなんだよ。毎日毎日、遺族の金太郎飴じゃねえか。誰があんな記事読むよ? 誰も読みゃあしねえよ」
「青臭いことを言うな」
 返した言葉に溜め息が混じった。
「何だと……?」
「田沢、お前、本気で読者を泣かせたくて泣かせを書いたことがあるか」
 何かを言い掛けて、だが田沢は黙した。
「人の死をとことん悲しく伝えたがるのはマスコミの性癖みたいなもんだ。読者が読もうが読むまいが、書いて、作って、配るのが新聞だろうが。五百二十人死んだら五百二十本泣かせを書く。そういう仕事じゃねえか」
 言うほどに悠木の心は寒々とした。
「見ず知らずの他人のために泣くやつだっているかもしれん。死体を見たがるか、泣かせを読みたがるかは読者の勝手だろう。こっちが考えても始まらねえ」
 小さな間があった。
「随分と達観してやがるんだな。らしくねえ」
「田沢」
「何だ?」
「俺はいつでも下りる。この事故やりたかったら上に言え」
 田沢は腕を組み、悠木の目を見つめた。
「社長と揉めたんだと?」
「早いな」
「お下がりは御免だ」
「こんな事故、二度とないぞ」
「でかすぎてつまらん。いいから、最後までドン・キホーテをやってろ」
 雑に言い放って田沢は背中を向けた。
 悠木は椅子に座り直した。
 ドン・キホーテ。この席に座っているのが自分でなかったら、うまいネーミングだと膝を打ったかもしれなかった。
 悠木は事故原因に関する原稿の束を手元に引き寄せた。
≪運輸省調査委「R5ドアは原因ではない」≫≪尾翼接続部欠陥で「共振」の可能性≫≪尾翼リンク損傷の可能性≫≪垂直尾翼つけ根から脱落≫≪つけ根に異常な力・後遺症説や乱気流説も≫≪水平尾翼も損傷か?≫≪米連邦航空局「老朽化早い大型機」≫≪8の字飛行三十分のナゾ≫≪残骸調査に全力≫
 読むのに時間が掛かった。「隔壁」の文字を探したが、どこにも出てこなかった。玉置に担《かつ》がれた。そんな思いが膨らんでくる。
 続いて遺族関係の原稿に取り掛かった。
≪遺体損傷激しく身許確認難航≫≪遺体、次々と故郷へ≫≪遺族に焦りと絶望感≫≪まだ乗客三人の家族と連絡つかず≫≪警官の制止振り切り遺族が現場へ≫≪お盆の朝の対面悲し≫
 悠木は原稿を仕分けし直した。
≪身元確認難航≫≪遺体の帰郷≫。この二つの要素を同じ面に組めば、内容を殺し合うだろうと思った。一面トップでやるのなら、≪身元確認難航≫のほうがインパクトがある。肩ならば、≪遺体の帰郷≫で泣かせを作る──。
 悠木は目線を上げた。
 局長室を偵察に行った岸が戻ってきたところだった。
「決まったか」
 悠木が訊くと、岸は曖昧に頷いた。
「一応中曾根で行くみたいだ。ただ、内容をどうするかでまだ揉めてる」
「局長は飯倉専務と会ったのか」
「いや、今日は休みなんだと」
「雲隠れか」
「そうかもな。家も留守電だそうだ」
「ジョーズやエイリアンと同じだ。出てこないから怖い」
 岸は破顔して言った。
「余裕だな、おい。日航は出揃ってるのか」
「共同電はな。そっちは?」
 言いながら、悠木は≪遺体の帰郷≫の束を引き寄せた。「一面肩」でほぼ決まりの感触を得たからだ。
「こっちは東京の青木待ちだ。苦労して書いてるだろうよ。口ほど筆力がないからな」
 悠木は小さく笑った。
「なあ、悠木」
「ん?」
「ホントにいいのか」
「何がだ?」
「日航が肩で」
 悠木は岸の顔を見た。真顔だった。
「俺が決めることじゃない」
「だな」
 二人が視線を外した時、田沢の尖った声がした。
「ちょっと、勝手に入っちゃ困るんですよ」
 大部屋の入口で、髪の長い、三十前後の女が愛想笑いを浮かべていた。小さな男の子の手を握っている。親子のようだ。
 田沢は立ち上がっていた。
「部外者は立入禁止なんですよ。出ていって下さい」
「すみません」
 母親はおずおずと頭を下げた。
「あの、新聞を一部わけていただけないかと思いまして……」
「じゃあ、下に行って下さいな」
 追い立てるように田沢が歩み寄った。
「下には誰もいらっしゃらなくて──」
 母親の言葉には耳に馴染みのない微かな訛りがあった。服装は地味だが、目元の化粧が濃いのが遠目でもわかった。連れている五、六歳の男の子は、母親が苛められていると思ったのだろう、瞬きのない真っ直ぐな目で田沢を睨み付けていた。
 その目がふっと悠木に向いた。
 悠木は笑みを作ろうとして、が、一瞬にして顔中の筋肉が強張った。
「階段を下りた右側です。新聞の販売機がありますから。コインで買えます」
「ご丁寧にどうもすみませんでした」
 母親が田沢に頭を下げて部屋を出ていく。男の子の目が悠木から逸れた。
 足が竦んでいた。
 あの目を知っている……。自分もあんな目をしていた頃があった。母さんは僕が守る。布団の中で切なく誓った日があった。
 父は二度と帰らない。そう悟った日だった。
 熱風が胸を吹き抜けた。
 悠木はデスクの上の新聞を鷲掴みにした。今日。昨日。一昨日。十三日の分まで掻き集めて社の封筒にねじ込んだ。さっき仕分けした原稿の仮見出しが目を刺した。≪遺体の帰郷≫──。
 猛然と走り、階段を下った。下りきったところで母子に追いついた。
「これ、どうぞ」
 悠木が封筒を差し出すと、がま口を手にした母親が驚いた顔を向けた。
 思った通りだった。化粧ではなかった。目元には、泣きはらしてできた隈《くま》がくっきりとあった。
 悠木は目を伏せて言った。
「十三日から今日までの新聞です。お持ち帰り下さい」
「あ……」
 突然、母親の目から、信じられないほど大粒の涙が溢れ出た。
「……ありがと……ございます……」
 母親は震える手でがま口を開こうとした。その手を幾つもの涙が打った。
「お代はいりません。どうぞ」
 悠木は母親の胸に封筒を押しつけた。
 ロビーのガラス扉を透かして、黒塗りの寝台自動車が見えていた。
 母親は何度も頭を下げ、去っていった。
 男の子は最後まで悠木を睨み付けたままだった。
 悠木は階段を上がった。だが、大部屋に入れなかった。泣くのは遺族の仕事だ。何度言い聞かせても駄目だった。
 悠木は階段を下りた。一段一段ゆっくりと下りながら思いを巡らせた。
 北関の看板が目にとまったのだ。
 だから、運転手に車を止めてもらったのだ。
 あれはどこのお国言葉だったろう。
 どこの県にも地元紙がある。彼女の故郷にだってきっとある。地元で起こった出来事なら、他のどの新聞よりも詳しい。だから彼女は北関で車を止めてもらった。夫を奪ったこの日航機事故のことが、どこよりも詳しく載っていると信じて──。
 悠木は顔を上げた。
 ネクタイで目元を何度も拭い、階段を駆け上がった。
 大部屋に入った。岸と田沢が無言で悠木を見つめた。構わずデスクに戻り、引き出しから写真を掴みだして局長室に向かった。
 ドアを押し開いた。
 粕谷局長。追村次長。等々力社会部長。守屋政治部長。亀嶋整理部長。すべての目が向いた。
 悠木はいきなり言った。
「トップは日航でいきましょう」
 部屋は沈黙した。
 ややあって粕谷が口を開いた。
「いや、トップは中曾根で──」
 遮って、悠木は言った。強く。
「それじゃあ、インテリやくざを黙らせられんでしょう」
 悠木は手にしていた写真をテーブルの真ん中に置いた。遺体安置所の写真だ。二つの花輪。二つの名前──。
「この大きさで載せます。これなら福中双方の顔が立つはず」
 呆気にとられた顔が並んでいた。悠木はその一つ一つを見つめ、言った。
「日航をトップから外すわけにはいきません。五百二十人は群馬で死んだんです」
 最初に頷いたのは、言わずもがな末席の亀嶋だった。
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