[書き下し文]子曰く(しいわく)、学びて時に之を習う、また説ばし(よろこばし)からずや。朋遠方より来たる有り、また楽しからずや。人知らずして慍みず(うらみず)、また君子ならずや。
[口語訳]先生(孔子)がこうおっしゃった。『物事を学んで、後になって復習する、なんと楽しいことではないか。友達が遠くから自分に会いにやってきてくれる、なんと嬉しいことではないか。他人が自分を知らないからといって恨みに思うことなどまるでない、それが(奥ゆかしい謙譲の徳を備えた)君子というものだよ。』
[解説]春秋時代に物事を「学ぶ」場合には、書物によって知識を得るよりも師から言葉によって知識を伝達されることが多かった。その為、弟子たちは師が「詩経」や「書経」を読む声を聴いて、その内容を忘れないように復習したのである。学問といっても現代のような教科書や講義による勉強ではなく、基本は、貴族社会の礼儀作法や教養・素養を師から口伝で受け継ぐことにあった。君子とは、端的には、統治者階級に相応しい「人格・度量・教養・品位」を備えた貴族のことであり、孔子が現れて以降は、人民を敬服させる徳(人間的な魅力・教養)を兼ね備えた人物を指して特に君子と呼ぶようになる。為政者たる者は、有徳の君子でなければならないとするのが儒教の基本的な政治思想(徳治主義)である。