[書き下し文]尭(ぎょう)曰わく、咨(ああ)、爾(なんじ)舜(しゅん)よ、天の暦数は、爾(なんじ)の躬(み)に在り。允(まこと)にその中(ちゅう)を執れ。四海困窮。天禄(てんろく)永く終わらん。舜も亦以て禹に命ず。(湯(とう))曰わく、予(われ)、小子履(り)、敢えて玄牡(げんぼ)を用て(もって)、敢えて昭か(あきらか)に皇皇后帝(こうこうこうてい)に告ぐ。罪あるは敢えて赦さず(ゆるさず)、帝臣蔽さず(かくさず)、簡ぶ(えらぶ)こと帝の心に在り。朕(わ)が躬(み)罪あらば、万方(ばんぽう)を以てすること無かれ。万方罪あらば、罪は朕が躬に在らん。周に大賚(たいらい)あり、善人是(これ)富む。周親(しん)ありと雖も仁人に如かず。百姓(ひゃくせい)過ち有らば、予(われ)一人に在らん。
[口語訳]尭が言われた。『ああ、なんじ舜よ。天の運行・運命は汝の一身にかかっている。帝位に就くために程よい中くらいを守るようにせよ。四海の人民は困窮している、天の恵みが永遠に続かんことを』。舜帝もその言葉を禹に命じた。商(殷)の湯は言った。『われ、未熟なる履(湯の名)、ここに黒毛の牡牛をお供えし、はっきりと上帝に申し上げる。「罪ある者(夏の桀王)は許さず。上帝の臣下は隠すことなく、上帝の御心のままに選びます。わが身に罪のあるときは万民に罰を与えないように。万民に罪のあるときは、罰をわが身に与えてください」。周には天のたまものあり、それで善人は富み栄えている。(周の武王は言った)。「濃い血縁関係があっても、仁の人には及ばない。人民に過ちがあれば、その責任は我が身一つにあるのだ」。』
[解説]古代中国の伝説の聖王である尭・舜・禹の間の「禅譲」について書いており、殷の湯王と周の武王の「仁徳」に満ちた偉大な業績についても記録されている。