[書き下し文]子禽、子貢に問いて曰く、『夫子の是の邦に至るや必ずその政を聞けり。これを求めたるか、抑も(そもそも)これを与えたるか。』
子貢曰く、『夫子(ふうし)は温良恭倹譲(おんりょうきょうけんじょう)以ってこれを得たり。夫子の求むるや、其諸(それ)人の求むるに異なるか。』
[口語訳]子禽が、子貢に尋ねて言った。『我らの先生(孔子)は何処の国に行かれても、きっと政治について意見を聞かれるだろう。これは、先生がもちかけたのだろうか、それとも、君主の側から頼まれたのだろうか』
子貢が答えた。『我らの先生(孔子)は、穏やかで素直で、恭しく慎ましい謙譲の精神を持っている。先生のほうから持ちかけたとしても、それは、他の人とは違っているのではないだろうか(学識を誇る他の人のように、自慢気にして強引に持ちかけるのとは違う)。』
[解説]子貢(しこう)は、子路や顔回、ゼン求、仲弓と並ぶ孔子の高弟として有名な人物である。子貢とは「字(あざな)」であり、姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)という。この文章は、孔子の温厚誠実で従順素直な人柄を述べた問答の部分であり、特に、孔子の慎ましくへりくだる謙譲の美徳を強調したものである。儒教道徳では、自己顕示欲を戒めて傲慢不遜を抑制する「謙譲の精神」が高く評価されている。しかし、この自分を低く見せる謙譲の精神は、西欧の価値観では「卑屈・柔弱・自信の無さ・リーダーシップの欠如・自己嫌悪・へつらい」というように悪い方向で解釈されることが多く異文化交流の障壁ともなっている。