[書き下し文]子曰く、道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。我に従う者は、それ由(ゆう)か。子路(しろ)これを聞きて喜ぶ。子曰く、由は勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所なからん。
[口語訳]先生が言われた。『(中国では)正しき道が行われない。筏(いかだ)に乗って海に浮かぼう(海の向こうの遥か遠くの国に行こうか)。私についてくる者は、由であろうか。』子路がそれを聞いて喜んだ。先生は言われた。『由は、武勇(勇敢)を好むことは私以上である。しかし、筏の材料は得るところがないな。』
[解説]晩年の孔子は、諸侯にその献言を用いられることもなく、徳治政治の実現に対してやや悲観的になっていた。そこで、愛弟子の一人である子路に向かい、『筏にでも乗って、海の向こうの東夷の国にでも行き、そこで仁や礼の徳を普及するかな』とシニカルに問いかけたのである。孔子は、勇敢で剛毅な子路の性質を深く愛して期待していたが、同時に、子路の後先を省みない無鉄砲なまでの直情径行ぶりを危惧していた部分もあったという。