[書き下し文]原思(げんし)、これが宰(さい)と為る。これに粟(ぞく)九百を与う、辞す。子曰く、毋かれ(なかれ)、以て爾(なんじ)の隣里(りんり)郷党に与えんか。
[口語訳](孔子の弟子である)原思が、領地の地頭となった。孔子はこの原思に、粟九百を給与として与えた。原思は、(この厚遇を)辞退した。しかし、先生がおっしゃった。『辞退することは許さない。どうしても自分が受け取りたくないのであれば、隣近所の人々に分け与えて上げれば良い』。
[解説]孔子は、貧乏だった弟子の原思を、自分の管轄区域の地頭に任命して、破格の高給を与えようとした。清廉実直で金銭欲のなかった原思は、『私にはそんな多くの給与は必要ございません』と辞退しようとしますが、孔子は辞退することを許さず『自分が欲しくないのであれば、それを必要とする周囲の人々に分け与えて上げれば良いではないか』と君子の道を説く。つまり、権力と財力を得ることそのものを否定するのが君子の道なのではなく、自分が獲得した権力や富裕を、人民の幸福や安心のために惜しげもなく使えるのが君子の道なのである。自分がまったく無力で極端に貧乏であるならば、貧苦や絶望に苦しんでいる民衆を救うことなどはとても出来ないのであり、君子とは『自分の得た政治的・経済的な実力』を人民のために物惜しみせずに使える人物のことである。