[書き下し文]葉公、孔子を子路に問う。子路対えず(こたえず)。子曰く、汝(なんじ)奚ぞ(なんぞ)曰わざる(いわざる)。その人と為りや(なりや)、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ。
[口語訳]葉県の長官が、孔子のことを子路にお尋ねになられた。子路はその問いに答えなかった。孔子がおっしゃった。『なぜ、お前は葉の長官にこのように答えてくれなかったのだ。その人柄は、政治に憤慨すると食事を忘れて仕事をし、楽しみを感じると心配事を忘れて熱中し、自分が老いていっている事に気づかないような人であると。』
[解説]老年になって孔子は、賢人として名声を鳴り響かせていた葉公の沈諸梁(しんしょりょう)の元を訪ねたが、弟子の子路がその葉公から『孔先生とは、どのような人となりをしている方なのだろうか?』と質問された。それに適切に答えることが出来なかった子路に向かって、孔子がこのようにありのままを答えれば良かったではないかと教えている部分である。孔子は、感情を抑圧する人ではなく、政治や情勢に対して憤激を感じると、寝食を忘れてその問題の解決に熱中し、自分が好きだと思える事柄に出会えば、小さな心配事などをすっかり忘れてそれにのめり込むような純粋素朴な人であった。また、自分自身が老人になって老け込んでいるというような自己認識を持たず、『まだまだ、これから学び教えていかなければならない』という精神の清冽さと若々しさを維持していたのである。