[書き下し文]子曰く、聖人は吾得てこれを見ず、君子者(くんししゃ)を見るを得れば斯ち(すなわち)可なり。子曰く、善人は吾得てこれを見ず。恒ある者を見るを得れば斯ち可なり。亡くして(なくして)有りと為り、虚しくして盈つ(みつ)と為り、約しく(まずしく)して泰か(ゆたか)と為る。難いかな恒あること。
[口語訳]先生がいわれた。『私は聖人を目にする機会を得ることが出来なかった。君子のような人物に出会えれば、それでも十分である。』。先生がおっしゃった。『私は善人を目にする機会を得ることが出来なかった。恒心(変わらない心)を持っている人を見ることができれば、それでも十分である。無かったものが有るものとなり、空っぽだったものがいっぱいになり、貧しかったものが豊かになるのだから、人間が(慢心せずに)恒心(変わらない心)を持つというのはとても難しいことである。』
[解説]孔子は超越的な能力や完全無欠の資質を備えた『聖人』には会ったことがなかったし、完全な道徳性を修得した『善人』にも会ったことがなかった。しかし、歴史的にも稀にしか出現しない聖人や善人に会うということは滅多なことではないのだから、普通は、君子のような徳のある人物や心変わりをしない誠実な人物に出会えれば十分に素晴らしいことだと言えるのである。孔子が、『時間の経過や状況の変化によって変わらない誠実な心=恒心』を非常に重視していたことが窺われる。