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『論語』の泰伯篇-01

时间: 2014-03-22    进入日语论坛
核心提示:[白文]1.子曰、泰伯其可謂至徳也已矣、三以天下讓、民無得而称焉。[書き下し文]子曰く、泰伯はそれ至徳と謂うべきなり、三
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[白文]1.子曰、泰伯其可謂至徳也已矣、三以天下讓、民無得而称焉。
 
[書き下し文]子曰く、泰伯はそれ至徳と謂うべきなり、三たび天下を以て譲れるも、民得て称するなし。
 
[口語訳]先生(孔子)が言われた。『泰伯は至高の徳の持ち主といってもいいだろう。天下の政権を三度も兄弟に譲られたが、人民はそれがどういったことなのか理解できずに、泰伯を称賛することもなかった。』 
 
[解説]周王朝は、武王が殷の紂王を征伐したことで天下の政権を手に入れたが、孔子が理想としたのは武王の弟の周公旦であった。武王が殷王朝を滅亡させるためには、周公旦と太公望呂尚の補佐が欠かせなかったが、殷を打倒した後に周公旦は自らの軍隊と権限を速やかに武王に返還した。実力的には武王と対等以上のものがあった周公旦が、敢えて兄の武王に政治権力と軍隊を委譲することで周王朝が確立し政治の安定が図られたのである。周公旦が、武王に政権を返還したことが『大政奉還』の故事成語を生み出したのである。
   ここで、孔子が絶賛している泰伯という人物は、文王(武王の父親)の父に当たる季歴の兄に当たる。泰伯は、弟の季歴のほうが君主としての器量に勝っていることを見抜き、自ら周国を去って南方の蛮夷の地へと出奔した。つまり、周公旦よりも古い時代に、自ら政治権力を捨てた人物が泰伯であり、孔子はこの権力(君主の座)にこだわらずに国家の繁栄を第一とする泰伯の態度を賞賛しているのである。ちなみに、この泰伯という人物は、南方の国家・呉国の始祖とされている伝説的な人物でもある。
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