[書き下し文]子曰く、鳳鳥(ほうちょう)至らず、河(か)、図(と)を出ださず。吾已んぬるかな(やんぬるかな)。
[口語訳]先生はおっしゃった。『吉祥をもたらす鳳凰の鳥をやってこない。黄河から叡智をもたらす図書を背負った神亀(しんぎ)は出てこない。私はもうどうしようもない。』
[解説]古代中国では、良い出来事が起こる予兆(吉祥)として鳳凰や神亀の到来が考えられており、鳳凰や神亀が出現すれば戦国乱世を平定する聖王が誕生するという信仰がもたれていた。孔子は、晩年になっても春秋時代の戦乱と災厄を鎮静できない自らの無能と不運に絶望してしまい、このような心中を吐露したのであろう。高邁な理想を抱き、卓越した才能を持ち、賢明で勇敢な門弟を多く手に入れた孔子であったが、孔子は遂に王者にも聖者にも成りきれず、社会の混乱や民衆の苦悩を解決することが出来なかったのである。孔子の理想の高さと現実の厳しさ、天命の限界などを感じさせる章であり、晩年の孔子の如何ともしがたい無念さが滲み出ている。